マレーシアは親日国家と言われている。
日本や日本人に好感を持ってくれているということだ。
確かに、街には日本のものが溢れている。
寿司はどこでも売っており、回転すし店には行列が出来ていることも。
車は日本車が人気で、クルマ好きな若者は日本語のステッカーを
愛車によく貼っている。
こう見ると、マレーシアの人々すべてが日本を好きでいてくれている
ように思える。だが、忘れてはいけないことがある。
かつて日本は、マレーシアを軍事力で占領していたという事実を。
太平洋戦争時、日本軍はマレー半島東海岸の街・コタバルに上陸。
当時、マラヤと呼ばれていたマレーシアは、イギリスの植民地であった。
日本軍はイギリス軍を撃破し、クアラルンプールを制圧。その後南下し、
ついには最南端・シンガポールへ到達し、イギリス軍は降伏する。
それから終戦までの約3年半、マラヤは日本のものとなっていたのだ。
その騒乱のさなか、多くの現地人が命を失った。
特に中華系(華僑)住人に対する弾圧が苛酷であったようだ。
中国本土に満州国を建国した経緯もあり、中華系住民の日本への反発は
根強かったようで、ゲリラ的に抗日の戦闘も起こっていたようだ。
そういったものを抑える目的もあり、中華系住人は特に厳しい目で
詮索されていたのだ。
度々妻と歴史や戦争の話になるのだが、その場合『100%』ケンカになる。
何故なら、マレーシアの学校教科書には、日本軍による占領時代は
残酷で非情な時代として書かれているからだ。日本軍は妻の故郷の街も
制圧している。妻の親戚の中には、日本人を快く思っていない人もいるようだ。
妻と口論していると、教育の根強さが実感できる。
マレーシアでは民族ごとに学校が分かれているのだけど、
マレー系やインド系の学校で、日本のことをどう教えられているかは
知らない。ただ、いい風に書かれてはいないだろう。
では、このような状況で何故親日の雰囲気へと変貌したのか。
それは、成長期にマハティール首相により掲げられた
「ルックイースト政策(東方政策)」によるところが大きいだろう。
これについては、また別途。
いまマレーシアにいる数多くの若い人たち、僕のような若年層も含め、
戦争を知らない世代が中心となっている。多くのマレーシア人が
日本の文化に触れ、日系企業で働き、日本へ旅行に行っている。
今日の両国の深い交流の前には、前述の暗い歴史がまるで嘘のように
感じられる。だけど、事実は忘れてはいけないと思う。
特に僕のように親族を持つ場合、年配の人に対しては結構気を使う。
ちなみに日本の前に植民地としていたイギリスに対しては、
かなり良い感情を持っているようである。スズ採掘や
ゴムプランテーションといった経済発展の礎を作り上げた実績や、
統治までの流れが日本とは異なっていることが要因かと思う。
外交って難しい。