未体験の世界、覗いてみたいと思わないだろうか?

 

私は消極的な人間だったと思います。
言い換えると
「行ってみよう、やってみよう」な
人間ではなかったということです。

 

まずやる前にウダウダと考え検討します。
何かを買おうにも、すぐには買いません。

「もっと安い店があるかも」とか
「そもそも本当に必要?」

などと悩んでいるうちに、
結局買い時を逃してしまうのです。

まるで、中学生の生活科の教科書に
書かれていた、次のような文句
そのままです。

「衝動買いはせず、よく検討してから
購入しましょう」

 

お金を出して買う場合、モノと体験では
まったくの別物ですが、

「体験」はその価値が長期間保持される
可能性が高いと思うのです。

 

モノは時間が経つほどどんどん古くなり、
ついには壊れてしまいます。

売ったとしても、買った時より高く売れる
ものはごく限られています。

 

一方、体験は一時の快楽・経験に
過ぎないかもしれませんが、

その記憶は身体や脳に残り、
後の行動や人生に影響を及ぼすかも
しれないと私は思っています。

 

例えば、高校受験のために
塾に通ったとします。

その甲斐あって志望校に受かれば、
支払ったお金に対して
十分なリターンが得られたわけです。

その後通る道に与える影響も加味すれば、
とてつもない成果ですよね。

けど、不幸にも不合格となってしまった
場合、費やしたお金と時間は全くの
無駄になったと考えるべきでしょうか。

私はそのようには考えません。

 

実際、私は高校2年生の夏から塾に
通い始め、夏には都心の校舎へ夏期講習に
向かい、そして志望大学には落ちました。

その後、1年間の予備校生活を経て、
志望校になんとか合格しました。

この浪人生としての1年間は、
生涯で最も勉強した時期だと思います。

偏差値が20も上がったのですから、
高校生の頃にいかに本気で勉強して
いなかったかがバレてしまいましたが…。

「一度は挫折したがやれば何とか出来た」

いま思えば、実際に成したその経験は
貴重なものだと感じています。

 

その時には思うような成果を得られ
なかったとしても、後になって意味が
生まれてくることもあります。

これが「体験」の持つ隠された
大きな成果ではないでしょうか。

 

体験したことのない世界を見ることは、
後々自分の血となり肉となるでしょう。

その結果が、自分にとってもっと
良い結果をもたらすかもしれません。

言い換えれば、自分という商品への
「投資」です。

 

「海外に暮らして色々経験してみる
ことで、今よりもっと良い人生が
得られるかもしれない。
何かしらプラスになるかも。」

致し方ない事情があったことに加え、
自分でもそう思ったからこそ、
私は日本を出ました。

そして、大きな得難いベネフィットを
得たと思っています。

 

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