地震でも会社に強制出社させられた社畜50人の体験談…!【実話】

地震でも会社に強制出社させられた社畜50人の体験談…!【実話】

 

日本では各地で大きな地震が
度々起こっていますね。

特に2011年の東日本大震災では
大被害が発生し、忘れられない方も
多いことでしょう。

 

しかし、そんな状況下でも
「何が何でも出社しろ!歩いてでも来い!
と会社に強制出社させられた、

「社畜」的な扱いを受けてしまった
人たちがいます。

 

「会社で働くには、こういうことでも
当たり前なの?」
と疑問に思われている方も多いでしょう。

 

今回は、そんな悲惨な社畜体験談
50人の方から集めましたので、
じっくりご覧ください。

実話だけに、リアルすぎます…!

 

 【目次】

・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(20代男性)
・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(20代女性)
・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(30代男性)
・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(30代女性)
・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(40代男性)
・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(40代女性)
・地震でも会社に出社させられた社畜体験談(50代以上男性)
・会社に勤めると必ずぶち当たる壁

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(20代男性)

 朝早くに震度5ほどの地震がありました。私の家は瓦屋根で瓦の何枚かが道路に落ちてしまいました。出勤時間が迫っていましたがこれの始末をせずに家をあけるわけにはいかないので、その旨を会社に報告して出勤が遅れると伝えました。すると、「瓦が何枚落ちたって会社での仕事には関係ない。早くこい」と言われました。腹が立ったので、報告どおりに遅れて出社しました。

 朝の6時に出社しないといけないのに5時過ぎに地震がおこり、そのために電車がとまってしまいました。電車が動かないのでは会社に行けません。上司に電話すると、「自転車にでも乗ってこい」と言われました。会社までは20キロ程あるので私の体力では無理です。結局動けずで、電車の回復まで待ちました。その後上司は「何があっても遅刻は遅刻」と説教をたれました。

土曜出勤だったのですが、出勤前に地震が起きました。その日は学校が休みの幼い子供を家に残して出て行かなければなりませんでした。普段なら留守番できるのですが、地震が怖いと泣きじゃくるので残していけません。また次の揺れがおこって一人で泣かすのも可愛そうです。そういう訳でしばらく出社を待ってくれと会社に電話しました。すると「子供をさぼりのダシに使うな」と上司に怒鳴られました。上司がそう想うのは全く分からないとはいいませんが、現に心の不安定な子供を目の前にするとこれを無視することはできません。上司は心ない人だと想いました。

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(20代女性)

繁忙期だったので「何がなんでも会社に来い」という雰囲気だった。東日本大震災の時だったが、地震が来た後も早帰りを打診するわけでもなくしょうがないから朝まで仕事をしようと言われた。翌日の朝に電車で帰って、その日は出社出来ないと連絡を入れたけど上司はあからさまに不機嫌で「私も来ているんだから甘えていないで出社しろ」という感じだった。

製造業で働いていましたが、地震直後にかかわらず「機械止めるな」とのことで、全く地震に対しての対策がなかったです。

私は大阪で起きた地震の時に、電車が止まっているのに会社に来てと言われました。私は大阪市内に住んでいるのですが、電車が止まっていて大阪市外に住んでいる職員が来れないから、歩いてでも来てほしいとの事でした。普段は電車で20分程かかるのですが、2時間半ほど歩いて職場まで行きました。家の事も気になるのにひどい会社です。

東日本大震災の時に、某ホテルで正社員として働いておりましたが。地震の影響で電車が止まり、交代シフトで出勤してくるはずの人たちのほとんどが出勤してこれませんでした。元々、少ない人数でフロントの仕事を回していましたので、地震の影響でパニックになって次々にお客様が押し寄せてくるなかで憩もとれずそのまま夜通し働かせられる事になりました。次の交代の人たちが出勤してくるまではホテルに残って欲しいと頭を下げられ、しぶしぶ残りましたが。地震の影響がおさまる3日間ホテルにて連続勤務させられました。その分のお給料は高く出ましたが、当時は地震で自分の家が心配のなか職場に残り、家族との連絡もなかなか取りにくかったので不安な日々を過ごしました。

私は東日本大震災で家をなくしました。 でも会社には出勤していました。 会社が理不尽で、どうしても出勤してほしいと言われ行きました。 1週間以上携帯も使えない、食べ物も1週間水以外口にしていない、公共交通機関も動いていない、ガソリンもない、お風呂も入っていない、家もなくなっている。 こんな状態なのに出勤をしろと言われ本当に苛立ちしかなかったです。私は子供がいないというそれだけで出勤を求められたのですが、もう少し安全など考えてほしかったです。

つい最近起こった、大阪地震の時の出来事です。わたしは出勤中で、電車に乗っていました。緊急地震速報と共に電車は急停止し1時間ほど車内に閉じ込められた後に、線路に出され一駅先まで歩きようやく地上に出れました。上司に連絡したら、職場まで30kmはあるというのに歩いてでもいいからいち早く来てって言われました。タクシーも捕まらないので、とりあえず大阪駅まで歩いて行きそこからは私鉄が復活するまで待ちました。大阪駅までも遠かったし、職場に着いた頃には疲労がすごかったです。職場まで歩くことは断念しましたが、もう少し違う対応をしてくれたらいいのに。と思いました。

この前の大阪の地震では主人が出勤中でした。電車が止まってしまい、家に私がいるとは言え乳児もいることから、電車が動いたら帰宅したい旨会社に連絡したところ、出社するように言われてしまったそうです。 ネットの通信関連の仕事をしていて、災害時こそ必要な仕事だというのはわかるのですが、こちらとしては心細くて嫌でした。 しかもばっちり、その分いつもより残業をして帰ってきました。 主人だけでなく、交通機関に従事する人や役所関連の方々等、様々な人が頑張って下さったお陰で震災時でも可能な限りの日常生活が送れるので感謝はしていますが、こんな時にまで帰らせてもらえないというのも考えものだなぁと思いました。

地震で電車が動かない旨を会社に電話しようとしましたが、すでに会社の回線が問い合わせの電話でパンク状態だったので電話できませんでした。どうしようか迷っていたら社内連絡用のグループlineで「各個人の家に会社から車を出すので、着替えを用意して出発可能時間を連絡するように」とのメッセージがありました。運送関係なので忙しくなるのはわかるのですが、いちおう被災者なのですがと思いました。

東関東大震災の時、私は会社の健康診断と夜勤業務でした。 健康診断が終わった直後に地震発生、職場はぐちゃぐちゃになり、夜勤と片付けで大変でした。 夜勤明けは休みの予定でしたが電車は動いてなく、そのまま会社に残り仕事と片付けでした。 それから会社に行くための電車はしばらく運転時間を制限していたので、いつもより早く出社しなければなりませんでした。 会社はもちろん休みにならず。 後日、会社の取引先から「震災後に仕事の遅延がなかったのはお宅(私の会社)だけだ」とほめられたそうですが、我々はいつまた地震がくるかわからない状態でびくびくしながら仕事していました。

私が住んでいた所は、東日本大震災で震度5強の地域でした。地震は仕事中に起こり、天井から物が落ちて来たり初めて経験したすごい揺れでした。当日はすぐに帰らせてもらえましたが、製造業の仕事だったので得意先の納期の関係で次の日は普通に出勤でした。地震後もかなりの数の余震もあったり停電したり、スーパーでは水も買えずガソリンも入れられない状況でした。ガソリンが入れられない人は会社からバスを出すので出勤してくださいと言われ、みんな仕事より自分や家族の命の方が大事なのにこんな時までひどいと思いました。

私が高校生だった頃、東日本大震災がありました。当時コンビニでアルバイトをしていたのですが、私が住んでいた地域も震度6弱を観測し暫く電車がストップして動きませんでした。バイト先のコンビニの一番近くに住んでいた私は「学校も地震で休みでしょ」と呼び出され、店の片付けを手伝わされました。水が断水したので水を買い求めに来る人、食料を探しに来るお客さんが多くて忙しく大変な思いをしました。今考えるとそんな大変なときに高校生を呼び出すオーナーはどうなんでしょうか。

私が住んでいる地域は普段から地震が少ないのですが、その日は夜明けに寝ていても起きてしまうような激しい揺れがありました。 子供もいるので、保育園に行かせるのも気がひけるしなと思い会社に連絡したのですが「繁忙期だし、もう揺れないと思うから来てくれないと困る」と言われたのです。確かに仕事は大事ですが、揺れないなんて上司に分かるわけないですから腹が立ちましたね。
その日は結局、保育園が預かれないと言ったことにして休みました。

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(30代男性)

運送会社に勤務していた頃の体験談です。東日本大震災が来た時、私は広島県で中間管理職をしていたのですが、東京の方で大地震があったらしいぞと一報が来ました。実際は東北だったのですが、取引先が大パニックを起こしてトラックと人員の確保と輸送ルートの確認を西日本の私達にまで要請、催促の連続で大混乱。夜通し電話が鳴りっぱなしになり、最後には政府が圧力をかけるから仙台まで行ってくれなどと言われる始末。結局、情報がまとまるまで遠隔地なのに振り回されて大変だったのを覚えています。

東日本大震災の時の話です。 自宅が徒歩で帰ろうと思えば帰れる距離にあったため、家族が心配だったので帰宅したかったのですが、「明日予定されているプレゼン用の資料作りを終わらせるまで帰るな」と上司に命令されました。こんな大地震が起きて、交通機関もマヒしている状況で、明日その企業がプレゼンに応じるわけないだろと思いながらも、渋々やりました。 状況判断ができない上司にうんざりしました。

私は飲食店でアルバイトをしていた時のお話ですが、朝方に震度5の地震があり、電車も止まっていると聞いた私は、 急いで店長に連絡した所、 早く来い、電車が止まってもこれるだろう、歩きが無理なら、自転車でも何でも買って出勤しろ と言われました。その時に親に事情を話し、車で送ってもらいましたが、 出勤したのは私と店長二人で、後日何人かのスタッフは辞めていきました。

3.11の日。 発生直後に全員集められ事務所待機の指示が出ました。 急いで家族の安否を確認し、みんな仕事どころではなく、文字通りただの待機でした。 指示を出した上司も上からの指示待ちの状態で5時間待機させられた挙句、17時に、定時だから帰宅して良いというクソみたいな指示があり帰宅。 ところが国道は大渋滞をしており、家まで30分の道のりが7時間かかり、深夜2時頃家に着き、翌日5時頃までに出社の命令が出ました。

東日本大震災の直後、計画停電で電気が使えずできる仕事が非常に限られる中でも出社させられました。計画停電中は信号も消え、通勤も危ないというのに、、、電気をつけられず暗い事務所で緊急の必要性のない仕事をこなしていると、自分はいま何をしているんだろう、、、という悲しいような空しいような、何ともいえない気持ちになりました。

東日本大震災の時の事です。 当時私は、某企業のレトルト食品工場に勤めていました。 作業中、今までに感じたことのない長く激しい揺れ、工場の外に避難し待機、1時間以上外で待ちました。その後、揺れが落ち着いてきたのでその日は帰宅との指示。 自宅に帰ってみると、本棚や食器棚が崩れ皿などが割れ、水も出ない電気のつかない悲惨な状態でした。 とりあえず、出来るだけの片付けをし寝床を確保。 すると会社から電話で、明日倉庫の片付けをするから会社に出社しろとの事、こちらの現状を伝えても受け入れてもらえず、余震のなか倉庫の片付けをしました。 水が出ないので、汗をかいてもシャワーすら浴びれないし、自宅の片付けも出来ない、そんな日が1週間続きました。

東日本大震災の時でしょうね。まずすぐには帰らせてもらえませんでした。私の住んでいる地方は津波はなかったのですが、停電しPCが使えなくなりました。それでも就業時間までは居るようにのこと、PCないと何も出来ないためただ居るのみでした。電気が復旧したあとも通勤で苦労しました。マイカー通勤なのですが、ガソリンの調達に苦労しました。1人あたり20リットルまでとか制限があったため携帯用のタンクを買ってなんとか確保していました。 あれから数年たちましたが、食べ物や水の備蓄をしています。地震大国日本、何があるかわからないですので。

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(30代女性)

1年しか勤めなかった運送会社の話で、社長と役員全員が家族で成り立ってる中小企業に勤めていたとき、高齢の母の実家で地震があり、仕事中、急いで電話しましたが、電話も繋がらず、心配なので翌日は休んで様子を見に行きたいと伝えたところ、「そういうやつが会社をダメにする」と言われたことです。このときばかりは腹が立って、文句を言いましたが、役員全員が家族なので、誰も相談にのってくれず、私は無理やり会社を休みました。

震災があり家の中もめちゃくちゃ車のガソリンも入れる事が出来ず、ガス水道も電気も止まり、沿岸に住んでいる親戚の安否確認もしたいと思っている中で、さっさと会社に来て片付けをしろと言われました。理由を話しても早く来いの一点張りで、携帯を充電する事が出来ないのできる事を伝えてもキレられました。結局私は、北国の3月、あの時はわずかに雪も降っていましたが、片道25キロ以上ある道のりを自転車で行き片付けをさせられました。親戚の無事も確認出来ずに、あんな理不尽な会社はないと今でも思っています。

東日本大震災の時、私は千葉在住で全国展開しているサービス業の都内店舗勤務でした。 当日はちょうど休みで自宅にいましたが、都内に出勤していたスタッフは帰宅難民となり都内の本部に寝泊まりしたそうです。 安否の連絡はあったと思いますが、翌日から通常営業でした。 電車は動いておらず、自宅の隣の駅に店舗があったのでそこに向かう様に言われました。 千葉の東京寄りだったのでさほど被害はありませんでしたが、余震が続いていたので当然お客様もほとんど来ませんでした。 私は隣の駅だったので通勤はそこまで苦ではありませんでしたが、わざわざ車を使ってまで出勤しているスタッフもいたので 移動も危険だし自宅待機させてほしかったです。

職場で地震にあってその時一人で作業していたのですが、店長や管理職の人達が自分たちだけ外へ逃げていました。誘導もせずに。あの時はさすがにキレました。

地震にあって家が倒壊し、住むところに困って上司に仕事を休みたいと相談したところ、会社に泊まって仕事すればいいじゃない?と言われました。

娯楽遊戯施設に務めていた時、震源地ではないけれど少なくない被害が出ていた地方だった為、職場の8割の従業員が自宅の被害や交通マヒで出勤できない状況だったが「被災地にある店舗に出向して営業再開の手伝いをしろ」と社長から命じられた。 自店の営業すら地震被害でままならない状況だと訴えたが聞き入れて貰えず、そもそも被災地に向かう交通網はほぼ全滅、道路は震災で分断されていたり自衛隊などの復興救援で一般車両で向かうだろう自分は邪魔にしかならないと説得した。社長は「だったら自転車か、歩きで向かうべき。助け合いは大事」と言い出してゲンナリ。だったら被害のない場所から偉そうに指示飛ばしてないで自分で行け!と思った。

会社までは残念ながら車でしか行けない場所にあるので、毎日、車通勤です。しかし東日本大震災が起こった時、我が家の車にはガソリンがほとんど入っていない状態でした。にも関わらずガソリンスタンドはやってないからガソリンも入れられない状態で困っている時に会社から連絡が。津波で壊滅的になった会社を綺麗にしましょうと。いや、ガソリンがないのに、どうやって行けば良いのか聞いても、頑張って下さい、の一言でした。地震が起こった直後にはすぐに帰宅をさせてくれ、安全になるまで自宅待機だったのですが、電気が復旧して連絡が取れる状態になったらすぐに復旧。確かに給料をもらっているので働くことは必要なんでしょうが、まだ余震もあるし何より会社は海のそばなのに。津波で会社の1階は壊滅状態だったのに。東日本大震災という大きな不安の中で会社にこびりついた泥やヘドロを掃除していたことを覚えています。というか忘れられません。

勤務している店舗は自宅から近く、自転車通勤をしていました。スタッフの中には、私のように公共の交通手段を使わなくても通える人も多くいました。大きな地震があり、電車がほとんど動かなかったので、地震から数日は自転車や徒歩など自力で出勤できるスタッフのみ出勤しました。本社により店舗が営業することは決まっていたので、スタッフは指定人数いなければなりません。来られない人がいれば誰かが代理で出勤します。休日返上で連日の勤務になった人もいて大変でした。

昔かけもちでアルバイトをしていた時に、地震の影響で電車もストップしているし交通が麻痺している状態で、出勤できない旨を伝えたら何とかして来るようにと強制されました。 「人足りないから怪我してないんだったら、自腹にはなるけどタクシー拾って出勤して!」 と言われました。でもタクシー乗り場も同じような方がいっぱいで殺到してました。 電車で40分程かかる距離だったので、タクシーの金額はいくらになるんだろう? ただ働きに行くようなものかなと悩んでいたら 職場近所に住む先輩が心配してくれて連絡をくれ、代わりに出勤して下さいました。 他にも出勤強制された方がいて、皆不信感を持ち退職が相次ぎました。

震度6の地震が来た直後に電話がかかってきてすぐ会社に来るように上司から言われました。めちゃくちゃな話だなぁと思いましたが仕事は仕事なので致し方なく行きました。私は余震が強かったのでもう少し家にいたかったのですが上司の出動命令では逆らうことができませんので会社に行きました。普通でしたが余震等も視野に入れて考えていただけるとよかったです。

まさにおとついの話ですが、関西在住なのでおとついに地震に遭遇しました。私には三人子供がいますが上が高校生、下は幼稚園です。高校生の子供達は電車通学で電車が途中で止まりました。幸い家から三駅程で止まったので駅から歩いて帰るとなりましたが、問題は幼稚園のこどもでした。当然の結果休みになりましたが、幼稚園が休みになったからパートがいけなくなりましたと、連絡を入れたら「○○さんちは高校生の子がいるから来てほしい」と言われ、高校生の子供はまだ帰ってこないと話すと「じゃあ誰かに頼んで預けてきて」と言われました。かなりイラッとしましたが、仕事が休みになったママ友さんに数時間だけ預けてパートに行くことに。回りの働いているママ友さんみんな、子供のそばにいてあげてとか、電車の関係で休みになったのに私の勤め先だけ仕事があり、あり得ないなとなり、現在やめようかと検討中です。

店舗勤務の接客業でした。 自宅から勤務地まで電車一本で出勤できるのですが、地震の次の日は仕事場の最寄り駅の2つ手前の駅までしか走っていませんでした。 お店は休みにならず、2駅歩いて出勤しました。 ですが、テナントとして入っているお店で施設自体の判断でお客様がいないため開店から2時間ほどで閉めることに‥。

地震が発生して、近くのコンビニやスーパーのお弁当やパンなどは、すべて売り切れているのに、通常でも車で30分以上はかかるような地域にまで、社員の食事を調達しに行くようにと上司から命じられました。会社周辺の道路は大渋滞で、2時間経ってもほとんど進まず、同乗していた同僚に走ってコンビニやスーパーを覗いてもらいましたが、ドコモ品切れで、結局3時間近く車を走らせてお弁当を買った頃には、会社に残っている人たちは帰宅し始めていました

3.11のときのこと、仕事は居酒屋の副店長でした。 ちょうど出勤しようと玄関にいるタイミングで地震が起こりました。「出勤しない」という選択肢がわたしの中にはなく、電車は確実に止まったと考え家の目の前でタクシーに運良くのれて電車で1時間の距離のお店に行きました。2時間かかって着いたら、店舗周辺は停電で真っ暗でした。店長がお店に来ていて、近隣で一人暮らししていたアルバイトの子たちがお店に避難して来ていました。 グラスや食器、食材などの被害状況を確認し、停電のためその日の営業は中止。翌日の営業ができるのかもわからず準備をし、そのあとは交通機関が回復するまで暗い中でずっと待機でした。深夜まで電車が動かなかったので、帰れないなと思っていたら友人が車で迎えに来てくれました。 時給で働く社員なのですが、その日の勤怠はお店の営業もできないため0円でした。今考えるとおかしいですね。

東日本大震災の時深刻なガソリン不足となりましたが、その際会社から近くの社員と相乗りで出社しろと言われました。 いざ販売しますとなっても仕事中だからガソリンスタンドに行くことも出来ず、とても苦労した思い出があります。 また、同時にトイレットペーパーの値段が高騰した際は、家からトイレットペーパーを持ってくること・一人2巻で済ませることと言われゾッとした記憶があります。

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(40代男性)

3.11の翌日、まだ中央線しか動いていないのに、上司より出社するようにSNSで言われました。 どれだけ電車が動いていないと伝えても出社しろの一点張り。 自宅は横浜にあるのですが(会社は新宿)、東海道線はもちろん、湘南新宿ラインは全く朝から動いておらず、じっと駅の大混雑の列に並びましたが動く気配なし。 昼過ぎのグリーン車にわずかな隙間を見つけて乗り込みましたが、到着したのは16時頃。 仕事にもならず、しかしながら上司の目もありしぶしぶデスクワークをして過ごしましたが、 帰宅するときの駅に集まる人群れを考えるとウンザリだったので、新宿駅前のビジネスホテルに泊まったことを記憶しています。

東日本大震災の時の話になります。本当にたまたまなので地震のあった日は親戚の家で不幸がありましたので休みをもらっていました。 親戚の家も近かったので地震発生後は直ぐに帰宅することが出来ました。 この日に出勤していた人達は職場から近い人は帰れましたが、遠い人は職場に泊まったようです。 翌日が土曜日だったのですが私の職場は土曜日も出勤なのですが、交通機関が全く動いていない状態だったので職場に到底行ける状態ではないのですが、職場の上層部の指示にあったようで上司が出勤するようにとの連絡が自宅にきました。理由は職場の近くに住んでいる上層部の人が出勤しているのに何で他の社員は出勤出来ないんだというのが不満だったようです。社員の安全とかは考えていないのでしょうかと考えてしまいました。因みに出勤を命じてきた上層部の人は送り迎え付きの社用車に乗っているので自宅まで迎えが来て出勤出来るのです。

東日本大震災の時ですが、会社自体が保険も取り扱う会社ですので、しょうがないとは思いましたが、金曜日に地震が起こり、普通ですと土日は休みなのですが、その土日どちらも出勤で被害調査を行うことになりました。

東北大震災で大変な時に、我が社は大忙し。某パンメーカーに勤めているのですが、街中で食や日用品の品薄状態で、工場はフル稼働しました。従業員も全員出勤。震災後で体も心も疲弊しているにもかかわらず。 2ヶ月間休みなし、1日15時間労働。 会社に何とかなりませんか? とお願いしたら、いいから仕事しろ! の一点張り。 東北の方々はもっと大変だったことは充分わかっていて不謹慎だと思いますが、あの2ヶ月間はとてもキツかったです。

東日本大震災の時、私の家の最寄り駅の電車は一応動いていましたが、断続的な運行でいつ止まるかわからない状況でした。また会社の近くの電車は動いていませんでした。そのため、上司に休む、と伝えたところ、すぐに連絡があり、「こういう時こそ客先回りをして他社を出し抜け!」とご指示がありました。私は「出社しても帰宅できなくなる可能性がある。家族のことも心配」と言いましたが、「お前の心意気を見せろ」と気合いを入れてきます。結局出社したものの、顧客はどこもお休み、結局何のために出社したのかわからない一日でした。

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(40代女性)

とある店で働いていたのですが、震災の後はアルバイトの人達だけで後片付けをしました。本社の人はこないし、何時間作業すればいいか分からないし、あの時は社会全体が混乱していましたが少しは指示を出して欲しかったです。業者さんも来てくれなくて、品物を廃棄するのかとっておくのか判断に困りました。

会社から頑張れば徒歩圏内の私。 歩いて30分もかかりますけどね。 それでも他の人より家が近いので、地震後出社してと言われました。 幼稚園お休みになってましたし、元正社員でも今パートの立場なので家で過ごしたかったのですが仕方なく行きました。 実家が家から徒歩10分だということも知られているので、断ることができなかったです。 子供を預かってもらう時に「パートなんだから行くことない」と実母に止められましたが、今後仕事をしていくのに支障が出たら困るし辞めたくないので行きました。

地震直後、社員の安否確認の為なかなか繋がらない電話をみんなで手分けしてかけまくりました。 その後コンビニやスーパーで帰れない人用に食事の確保に歩き回りました。 電車がほぼ運休だった為、会社で夜を明かし、明け方電車も動きだしたのでこれで帰宅できると思っていたら 上司に「これでやっと仕事ができるぞ」と言われそのまま仕事をさせられました

東日本大震災の時の事です。 当時娘は小学4年生。 一緒にパートで働いていた人達の子供は16~20歳。 私の子供が1番小さく。 仕事中に地震がおき、すぐに帰って娘を安心させてあげたかったのですが他のパートさん達全員が帰ってしまったので私は帰れず。 上司から言われた言葉が小学生なら地震なんてわからないから帰っても意味ないよ。残業してね。と言われました。 1か月後退職しました。

関東で大地震があった時、私の会社はかなり揺れましたが幸い建物が傷ついたり、怪我人がでたりなどの被害は出ませんでした。 ですので多くの会社がすぐに帰宅を促すなか、私の会社は定時まで仕事をして下さいと指令があり、すぐに帰宅できませんでした。 酷い人は普通に残業までさせられていました。 今考えると社畜のような、酷い会社だと思います。

 

地震でも会社に出社させられた社畜体験談(50代以上男性)

仙台市内の会社に勤めているのですが、あの東日本大震災の時、社長は出張で大阪にいました。 震災の際、県内同士の電話はまったく通じませんでしたが、外からかけてくるものについては、比較的通じました。 それで電話してきた社長は「会社は津波にあったわけじゃない」とか「原発は安全だ。メルトダウンなど起こらない」と言って、通常と変わらず仕事をするようにとの指示がありました。 しかし、どの社員も家族が心配でしたし、沿岸部に親族が住んでいる社員もいました。 部長の独断で翌日は休みとなりましたが、さすがの社長も仙台に戻り、市ガスが一か月も復旧しない現実を自ら体験すると、その時の事は一切口にしなくなりました。

阪神・淡路大震災の直後、家がめちゃくちゃで車はカーポートが崩れて出せず、列車が動かず、仕方なくバイクで3時間かけて会社に行った、会社は、何故かあんまり被害が無くて、まあ一安心として整理と片付けを済ませてヘトヘトで帰ったわけであるが、翌朝、会社から電話で、昨日出てこれたんなら今日もでてこれるだろという事で、こんな時こそやる気を見せるよとか、言われて、家の片付けとか全く手付かずで、腰を痛めた父の面倒もみないといけないのに、「ここで男のやる気」とか「全員出社してというのが常識」とか言われて無理やり出さされた

2011.3.11に発生した東日本大震災で地震と津波で大きな被害を受け、我が家を始め多くの家屋や会社も大きな被害を受けました。我が家の室内の家具類が倒れ、室内はめちゃくちゃで会社へ出勤できない状態でした。翌日、上司から倒壊設備の対応のため出勤の可否の連絡が入りました。出勤どころではないのですが、同僚達の意向を聞き出勤することにしました。生活基盤は会社あっての人生であることをより一層痛感しました。

 

会社に勤めると必ずぶち当たる壁

やはり東日本大震災の体験が多いですが、
会社に勤めていると、家庭との板挟みで
苦しんでいる人が多いですね。

もちろん会社の管理職や上司も、
自分の家庭がありながら、会社を回して
いかなければなりません。

しかし、あまりにもヒドイ出社命令も
沢山ありました。

 

しかし、会社に勤めている以上、家庭より
も会社を優先せざるを得ないことも
多いと思います。

子供の行事なのに仕事がある…
自分の大事な用事があるのに行けない…

 

現在は”在宅ワーク”という働き方も出現して
きています。
パソコンとインターネットが発達した
今ならではの働き方ですね。

ですが、家で仕事ができるといっても、
やはり会社のスケジュールに合わせて
動かなければなりませんし、ずーっと
在宅で仕事ができるわけではありません。

 

もっと在宅で仕事をすることに特化した
ものが「ネットビジネス」です。

ネットビジネスは自分で独立して稼ぐ
物ですので、他に依存しません。
自分のペースで仕事を進められるのです。

 

満員電車に押し込められて会社へ行く
必要もありませんし、万が一地震が
起きても、帰宅難民にもなり得ません。

もちろん、大変な思いをして出社する
こともまったく不要です。

言ってしまえば、大混雑する交通機関の
混雑を緩和することにも貢献できます。

 

ネットビジネスの長所は、
仕事をしながらでもスキマ時間を活用し、
副業から始められる点です。

私も副業として始め、ほどなく
月収10万円を達成しています。

 

副業から初めて月収10万円を達成し、
今でも毎月安定して稼ぎ続けている手法を
私が8か月間かけてまとめました。

80動画、100コンテンツからなる、
ネットビジネス未経験者・初心者向けの
教科書Passport to UTOPIA」を、
今だけ限定で、無料で配布しています。

もし興味がおありでしたら、
参考にしてみるのも一つの方法です。

下の青い画像、またはこちらをクリックし、
その先のページの入力欄にお名前(姓)と
メールアドレスを入力します。

「無料で受け取る」と記載の青いボタンを
押せば、メールが届きますので、
届いたメールに記載のアドレスから
手に入れてください。

  ↓

 

感想、質問など

*
*
* (公開されません)