森で、街で、好きな時に行ったり来たり。
デュアルなスタイルで生きてみた。
あなたはどんな生き方をしたい?
社畜サラリーマンとして働く日々が苦しくて仕方がなかった時にPC1台で稼ぐスキルをマスターし、会社に縛られずに自由に生きていけることに気付く。
今の生活に悩みや不安を持っているなら、まず月収10万円を目指して一歩踏み出すことで人生は変えられる。 私がそうであるように ー
社畜

ブラック企業を辞めたい…相談前に読んで!50人の退職理由と方法とは?

いま大きな社会問題となっているブラック企業!

ブラック企業を辞めたい…でもなかなか辞められない…。

そんな苦しむ人をなんとか減らしたいとも思います。

そこで、これまでブラック企業に苦しめられ、どうやって辞めたかを具体的に知るため、アンケートを取ってみました。

各所に相談するのもいいですが、その前に50人のアンケートから、退職理由退職方法を学ぶのも有効な手立てだと思います!

大事なのは辞めた後どうするか?

参考にしてみてくださいね!

20代のブラック企業退職理由・退職方法!

男性・サービス業

3~4年前に入った横浜にある飲食店だったのですが、新規にオープンするとのことで社員として入りました。 最初は雰囲気もよくみんなで意見を出し合いながらオープン準備を始めていたのですが、徐々に社長のワンマンぶりがすごく、 オープンしてからとても忙しいプラス人手不足、またやっていけなくなりやめていくアルバイトさんも増え、自分含め当時の社員は約1カ月半ほど休みなしの長時間勤務を強いられました。もちろん残業手当など出るわけなくそれでもお店にくるお客様のためにがんばってはいたのですが、 やめる決定打となったのは過労で当時の料理長が倒れて入院をしてしまったときに、社長は料理長の体調管理ができてないからだとみんなに言い放った時です。 これを聞いたときに自分もこのままだとだめだと思い辞める意思を伝えたのですが、断られ結局もめてらちが明かずにその3~4日後に退職届けだけ店において辞めました。

男性・サービス業

某温泉施設で働いていたのですが、当時支配人含め社員は3人しかおらず、早出(8時から17時まで)・遅出(17時から1時まで)を各1人のシフト制でこなしていました。しかし夏場は水風呂を冷ますのに時間がかかるため、夏はサウナが温まるのが時間がかかるため早出は基本1~2時間早く来るのは当たり前。遅出は店舗が閉まる0時を迎えてから事務作業や店舗で使うイベントポスターの製作・本社からの仕事を行うため帰るのが2時3時になることはざら。しかも超過分の残業代は一切出ず、ボーナスもありませんでした。ほかの店舗の新卒同期達も同じような状況でどんどん辞めていきました。私も1年ほど勤めた頃体調を崩すことが多くなり辞める事を決めました。そこからはまず支配人やほかの社員に退職したい旨や理由をしっかりと伝え、内堀を埋めていきました。そしてマネージャーが来たタイミングで同じような内容を伝え、それとなく人事部にも伝えて貰えるようお願いしました。ほぼ同じタイミングで他の店舗への異動の話があり、退職の話を聞いた異動先の支配人や社員から何とか一緒に働けないかと言う趣旨の電話がありましたが丁寧に説明した上で謝罪し何とか分かってもらえました。人事部へ退職の話が通った頃本社からせめて退職の時期を2か月ほどずらせないかという連絡がありましたが、体調不良や仕事に対しての意欲がもう無い事を強く訴え、支配人に伝えてから約2か月程で無事退職の運びとなりました。

男性・サービス業

私はホテルの従業員として、主に会場の設営から料理の提供を行ってきました。 私の職場のブラックな点として、上司の非人道的態度と待遇があげられます。 上司の態度としては、ホテル内では誰もが知っているほど切れやすく、特に時間がないスケジュールの際には、部下に罵倒を浴びせることは当たり前でした。特に派遣できていた外国人に対しては、日本語が伝わりづらいことをいいことに、人に対して使うべきでない言葉を用いて怒鳴りつけていました。毎日です。 職場内待遇としては、時間内に終わらない場合の残業は当たり前で、特に派遣できてくれたスタッフさんの勤務時間が終わると、効率が悪くなってしまい、社員が何時間も居残って残業することが日常茶飯事でした。給料も派遣社員より格段に低く、ダブルワークをしないと到底やっていけない手取りの額でした。有給はもちろん上司がとっていなかったため取れず、毎日の過酷な業務に耐え切れませんでした。 転職を考えるなら若いうちにと思い、現在は公務員を目指し日々勉強に励んでおります。現在転職を考えている方も今後の将来を前向きに考えて早めの行動をお勧めします。

女性・サービス業

飲食店でアルバイトしていたときの体験です。まず、学業と両立して午後しか働けないにも関わらず、昼にも勤務してくれないかなどと頼まれました。平日17時から26時で入っていたのですが、人が足りないとのこと。しかし、どう考えても1時間の昼休みでは次の授業に間に合いません。学生が私だけだったので共感してくれる人もなく、融通が利かないと批判されました。そもそも平日は時々16時の早出・残業も引き受けて、土日は開店作業?ディナーまで。月の実働時間が社員を超えた時もありました。それで雇用保険もなし。さらに、調理器具で殴られたことも何度かあります。数年も続けたある日、ふいに何かが吹っ切れました。その日は食い逃げがありました。犯人はスマホを忘れていたので、わたしはすぐ拾得しました。しかし、勝手に触らず戻してこいと言われました。明らかにグラスを落として割ってまで店外走り去っていったのに。その後、戻ってきた彼らを見て、すぐ店長に報告。しかし、そんな事態にも関わらず店長は爆睡していました。そして、起こしているうちに再びもぬけの殻になった座席。今度はどうしてスマホを拾得しなかったのだと反省文を書かされました。その時、店のために頑張る必要はないと感じました。次の日の休憩時間に、今までの私の仕事をノートに書き残し、その日以降バックれました。悪いこととは思いつつ、逆に仕返ししてやろうと思ったのです。ピーク時にサングラスをかけて行ったら全く気づかず。勤務中も私に任せて裏でお茶していた社員さんたちが大慌てでした。しかも、3人がかりで私の残したノートを見ながら働いていました。ブラック企業には一味違う辞め方も必要です。

女性・サービス業

高校を卒業して旅館へ就職しました。華やかな世界を想像していましたが、それとは程遠い状況でした。10時間勤務(内1時間休憩) あくまでも目安であり12時間以上?が当たり前。休憩もおにぎり1つをぱぱっと食べて、満腹感を得るために一服。従業員のほとんどが喫煙者でした。休憩中でもインカムや内線で呼ばれ、必ず館内にいなければなりませんでした。月6日休み、職業柄、平日しか休みが取れないのですが 半年に1度、特休といって+3日休みが取れる! 連休を希望したが取らせてもらえなかった… 成人式のため休暇依頼したところ、ただでさえ年末年始10連勤以上して休んでいなかったのに当日のみと言われました。祖父のお通夜、お葬式1ヶ月6日休みであったが実際にはそこも満足に取れていなかったため! 忌引ではなく休暇にされました。支配人が変わり様子見をしましたが やっぱり状況は変わらなかったので退職の意思を伝えました。そこから辞めるまで半年かかりました。

女性・不動産業

毎週確実に休みがあるということで入社を決意したのですが、実際休みにもお客様の家に行ったり、打ち合わせをしたりとなかなかお休みが取れず、契約をとると更に休みが取れなくなり1ヶ月に休みが1日2日とかがザラにありました。そのこともあり体調を崩して休暇をまず頂き、医師との相談により診断書を発行して頂きました。上司とも話しをし、今の現状では働ける状態では無いことを伝え会社にある福利厚生をがっつり使わせて頂きました。その後、再度話し合い退職する意向を伝え辞めさせて頂きました。辞めるまでは、やはり自分のお客様のことなどのことを考えて揺らいでいたのですが、医師や家族の説得により、まずは自分の体調が大事だということを気づかせてくれたので辞められました。

女性・不動産業

「不動産はブラックな会社が多い」とはよく言われていますが、前の会社はまさにそうだったと実感しました。営業職だったため、よくある「見込残業」として給与に反映されていました。その会社は「一か月の見込残業は45時間」と雇用契約書にも書いてあったのですが、当然それを大きく超過していました。就業時間は10:00~19:00で、1時間の休憩がある、というものでした。しかし、10:00にはモデルルームを開けるため、その前に来て、朝礼やら清掃などを行っていました。それだけで、毎日朝残業が30分~1時間くらいはかかります。また、「お付き合い残業」の文化が色濃く残っており、終業時間も22:00、23:00ということがほとんどでした。わたしは大学卒業からこの会社に入社したため、こういうことが当たり前だと思ってしまっていたところもあるのですが、転職し、全然当たり前ではなかったのだなとびっくりしました。

女性・サービス業

電車やバスの遅延で遅刻しても罰金1万円。残業手当1円もなし。お昼休憩は自分の仕事が終わらなければないが、元々終わる内容ではないからトイレも行けず何回も膀胱炎になった。ご飯が食べれないのでトイレに行くふりをしてお昼ごはんを夜の8時9時におにぎりやパンをトイレの中で一気に口に含み1分ほどででることもあった。休みの日に呼び出されタダ働きも多かった。やめたくても今の子は根性がないと言われ続けこどもを作ってやっと辞めれました。ちなみに私は美容業界の接客業で多くの指名のお客様やリピーターもいましたし、仕事も職場では1番効率もよく売り上げもトップでした。ただ何でもはいと言ってしまう性格で本当にいいように使われました。

女性・サービス業

派遣会社の営業として勤務していましたが、サービス残業が当たり前でした。始発で東京へ出張へ行き、終電で帰宅。次の日また始発で九州へ行き、終電で帰宅。しかし出張手当などは付かず、拘束されているにもかかわらず月に残業が認められるのは20時間のみ。ざっと計算しても3倍以上の残業はしていました。思い切って残業を申請しても、上司に勝手に申請を20時間に書き換えられることが1年以上も続きました。辞める日を自分で設定し、商談の架空予定をいれその間に転職活動を日々行いました。内定をもらってすぐに会社に辞める旨をつたえ、引きとめられましたがスパッと断りやめました。次の日からはすぐに引き継ぎを行い、転職活動開始から1カ月ほどで退社することができました。

女性・製造業

私が勤めていたのは社員が退職しても増員せず、いる社員に仕事をすべて振るという会社でした。おかげで私は退職した4名の業務も任せられ、入社2年目で月80時間を超える残業をしていました。業務量が多すぎるにも関わらず、突然「今日はノー残業デーです!定時に施錠するので誰も残らないように!」と無理やり退社させられることもしばしばありました。もちろんその日出来なかった業務は次の日早朝に出勤したり週末に会社に出てきて行うしかありませんでした。また、どうして残業をするのか?効率が悪いのでは?本当はやらなくても良い業務があるのでは?等と言われ理解してもらえませんでした。そのため退職率が高く毎月1-2人は退職者がいて、ほとんど残っている社員の士気もとても低く愛社精神も見受けられず会社の雰囲気もよくありませんでした。あまりにも耐えられなかったので退職したい旨を伝え、退職希望日の3か月前に退職届を提出し、退職しました。

女性・サービス業

新卒で美容サロン入社しました。週5日勤務のうち2日はサロン内は1人で営業していました。営業時間は9時間でした。予約が全て埋まってしまうと、施術以外の業務は営業終了後にやります。予約を詰めて取るため、お手洗いに行けず、辛かったです。備品発注、材料発注、店内の掃除、カルテ記入、予約管理など全て1人でやります。ブログとインスタグラムも1日1回は必ず投稿しなければならなかったので、写真にサロン名などを入れて編集をしてから投稿します。いつも終電ギリギリで帰宅していました。雑誌やネット予約サイト用に載せるものを作成することが1番時間がかかり、大変でした。期限があるので終わっていない時は営業終了後、タイムカードで退勤をしてから朝まで作業をしなければならないこともありました。6ヶ月在籍していましたが、給料明細は4月分の1回だけしか渡してもらえませんでした。なので5月以降は控除で何がどのくらい引かれているのかなど分かりませんでした。他の従業員の方は、給料明細をもらえない事を諦めていました。もっと制度がしっかりしている会社で働きたいと思い、退社したいと人事の方に相談しました。ですが、話をする時間を取ってもらえず、続けることに限界がきてしまったので、簡易書留で退職願を郵送して辞めました。

女性・サービス業

1ヶ月の休日は多くて6日、少なくて1日。最長連勤日数は21連勤でした。1ヶ月の労働時間は300時間を超えることが大体です。退職したい旨は直属の上司に伝え、退職届けも提出しましたが、提出した退職届けは「直属の上司→部門を統括している支配人→人事部長→社長」の順に確認・面談を行い、最終的に全てが完了しないと退職が決定しないらしく・・・まず直属の上司に提出しても、支配人の提出をして貰えないので、大体退職するまで1-2年、途中で退職を諦めた人もいます。あまりにも退職手続きが進まない挙句、会議時に社長の際に「お前は絶対に辞めさせない」と怒鳴られ退職届を破られた為、次の日に退職届を内容証明郵便で会社に郵送。後日人事担当が自宅まで来て、ようやく退職を受理してもらました。

女性・小売卸売業

私が大学を卒業して新卒で入社して3年はたらき、退職した会社のお話です。当時は中古車販売の営業をしていました。私が「やめよう」と思ったのは2年目の夏でした。実際に辞められたのは1月でした。7か月辞めるのにかかりました。ブラック企業を辞めるのに伝えたいことは、(1)辞める日を明確にする (2)もっともらしい理由を作る です。私は6月か7月頃に12月末でやめるといいました。(やめられないことがわかっているため、半年前にいいました。)理由は実家に帰って地元でやりたい仕事があると伝えました。もちろん「それはあなたには合ってない」とか「せめて来年の新卒が入社して安定するまでいて(1年後・・。)」など言われ、最終的には「やめてもいいからアルバイトで来い」まで言われました。しかし、実家の近くから通える自分が小さいころ夢だった仕事の求人があることをきっかけにプライベートがないこの仕事より新しい道に進みたいという内容を言い続けました。その結果、12月末までの出勤で1月末までの有給で退職が決まりました。

女性・サービス業

24時間のハブ空港に入っていた、外資系航空会社に勤めていました。空港から出発する最初と最後の便を担っていた航空会社に勤めていたことから、早朝出勤の日は午前3時、遅番の日は午前2時までの勤務でした。ある程度の覚悟はして入社しましたが、メンテナンスや台風等の理由で遅延した時のシフトが地獄でした。前日の午後2時に出勤し、翌日の午前9時に退勤。人材不足という理由で、その日の午後5時にはまた出勤なんてざらにありました。一体今日は何日で、今何時なのか分からない程になり、もう体力的にも、精神的にも限界だと思ったのが、入社して1年の時でした。毎月2~3人退職していた会社だったので、退職の話を上司に切り出すのは、そこまで難しくありませんでした。シフトを変更してくれなかったら辞めますと伝えたところ、しんどいのは皆一緒だからと言われた瞬間、この会社に居ていても明るい未来は無いと思い、退職しました。

なんか初めから気分が重くなる話題ばかり…

それだけブラック企業が与える影響は大きいんです。

人間性を変えてしまわんばかりに…。

私だったら1年もたないかも…。

私は海外に住んだおかげで、働くということの意識が変わりました。

そして自分の力で稼ぐことを始めたのです。

30代のブラック企業退職理由・退職方法!

男性・小売卸売業

以前に勤務していた会社なのですが、社員を怒鳴りつける等のパワハラは当たり前で、自分に意見をしたり反抗的な社員はすぐに解雇をしている状況でした。また、私物と社内の備品の区別を全くしておらず、社内の備品(パソコン等)を勝手に自宅に持ち帰る等の事も多々ありました。社員に対する信用もなく、ある日突然「社内のパソコンがなくなった。社員の誰かが盗んだ」と言って社員全員の鍵を取り上げた事もありました。これに関してはおそらく先述した私物と備品の区別がない事が原因だと思われますが、それに対して誰も意見を出来ない状態になっておりました。給与については私は受け取っていましたが、会社の経営が厳しくなった時期があり、その時期には給与を支払われずに退職した社員もいました。この会社を辞めた方法ですが、元々人の入れ替わりが激しく、社員を替えの利く消耗品と考えているような社長でしたので、辞めるのは簡単でした。業務用に使用しているメールで退職の旨を連絡し、そのまま翌日から出勤をやめました。そもそも書面で雇用契約も結んでいないような状態でしたので、書類上の手続き等も必要なく、そのまま退職が可能でした。退職後に一部の社員から電話の着信がありましたが、それも無視をしているとその後は着信もなくなりました。以上が私が勤務していたブラック企業の状況とその辞め方でした。

男性・サービス業

福祉業界。二代目社長が先代である父親の築いてきたものを壊し、職員の給料を下げ、無駄な浪費を続けていました。給料、ボーナスともに下がっているにもかかわらず、「頑張れば上がる」と職員を鼓舞しますが、上がる者はいませんでした。また、営業などの成果主義の仕事と違い、高齢者福祉施設での「頑張る」とは何をもって頑張るのかわかりませんでした。さらに追い打ちをかけるように二代目社長の側近は部下の働きが悪いと人前でも怒鳴り散らすヤクザみたいな人間でしたが、社長には気に入られるようにごまをすっていました。辞め方は次の仕事をみつけて、辞表を提出しました。「やめたいのですが」という相談をもちかけると恫喝されるだけなので、「やめます」と意思表示だけして、ひらすらやめるまでの時が過ぎるのを待ちました。

男性・運輸業

以前勤めていた会社になります。業務は営業職として入社しましたが営業とは名ばかりの配送業でした。ハイエースにパンパンの積み荷をし、取引先に配送するだけの仕事でした。朝から晩までさまざまな取引先に商品を配送し、へとへとになり会社に戻ると後片付けや、事務作業。定時はとっくに過ぎているがもちろん残業代が支給されることはなく、毎日サービス残業。所長はパワハラやセクハラを事務所内で平気で行う職場でした。辞めるときは労働基準局に相談し、残業代の申請と精神的苦痛に対する慰謝料を社長宛に請求しました。法的措置も検討していましたが、自分の請求する金額にて和解書が1週間もたたずに返送され請求した金額がすぐに振り込まれました。そのまま退職願も提出し、有給をすべて消化して退職しました。

男性・サービス業

わたしはサービス業の仕事を従事しておりました。入社して1ヶ月間は研修期間で凄く優しく丁寧に教えてもらえたのですが、研修期間が終わった途端、人が変わったかのように一切喋らなくなり、わからない業務があるとき上司に「教えてください」と頼んでも露骨に嫌な顔をされ無視されることが多々ありました。最初は辛かったですが、同じ時期に入社した同期と上司の愚痴を言いながら何とか3カ月仕事をしていましたが、3か月になってから色々と不信感が出てきました。給料明細がなかなかもらえないこと、給料明細を見たら雇用条件で確認した残業代と交通費が含まれていない、問いただすと「忘れた」と言われる。そんな会社に嫌気がさし辞めました。ただ退職届を出したのですが、受理されず何回も何回も出しましたが、一切受け取ってもらえなかったので、退職代行に頼みました。退職代行に相談した翌日に電話で話をつけてくれて無事、会社側が退職手続きをし、それ以降、直接会社に行かず処理できました。

男性・その他業

やはりブラック企業ともなると、辞める際に「次の給料はないと思え」などパワハラな部分が多いです。もちろんブラックと言われるだけあって、法令違反等をおかしている企業がたくさんあります。今では退職代行サービスなどが存在していますが、自分なりに法令や法律を勉強し、言われることに対して対抗いたしました。要するに、自分の力のみで退職をしました。具体的な内容としては、「給料が支払われない場合は労働基準局に相談をします。」と言いました。相手側は会社のルールを言ってきます。なのでこちら側は法律・法令を勉強し、「それは法律で許されているのでしょうか?」と言って対応しました。もちろん辞めるまでも色々とパワハラを受けましたが、それを労働基準局に相談いたしました。

男性・その他業

知的障がい者の通所施設の職員として働いていました。基本給が13万円で交通費の支給以外は手当てが出ませんでした。嘱託職員だったので、1年頑張れば正社員になれると言われ頑張って働きました。残業は全くつかないですが、月に30時間は残って仕事をしないとやっていけないし、送迎についてもペーパードライバーの私に仕事の初日から10人乗りのハイエースの運転での送迎を任されました。送迎中に事故があった場合は、保険が適応されますが、5万円は事故を起こしたスタッフが負担する仕組みになっていました。ボーナスは給料1か月分が年に2回でした。手取りの給料は10万円で1年間頑張りましたが結局嘱託職員のままでした。学生の頃に実習でお世話になった精神科病院から声をかけてもらい、職場には相談せずに内定をもらってから退職の話をして何とか転職することが出来ました。それでも年収に換算すると50万くらい上がった程度でした。

男性・製造業

某会社の状況、関東にある自動車関連の仕事であるがISOを習得している割には非常に不衛生な場所であり、グループ会社の中でも何年もダントツでワースト1位になるほどの不名誉な場所である。汚いのは場所だけでなく人間性も関与しており、派遣や新入社員を招く分にはよいがもはや人間として扱わない、もっともその会社のモットーが「壊れたら新しいもの」であるため、やめることを決意した。辞める理由としては少なくともその会社には2年だけは耐えようと思いとにかく辛抱であった。ただ辞めるだけではなくその会社との社交性を完全に断ち切る代わり業務だけは行うようにと程よい関係でポテンシャルをつないでいた。そのため、次の人生の道が見つかり、社内の評判もあまりよく思われなくなった途端上層部に申告し退社し別の人生を歩むことに成功した。根性も必要であるが、それ以前に先のことを考える先見のことも必要であるため、辞めるだけでなく今後どうするのかがポイントです。

男性・IT・情報通信業

ブラック企業に就職しているかどうかという視点より、このままこの仕事にとどまるかを考えました。私の場合、会社の組織改編をきっかけに「自分の能力が、会社から求められる能力に達しているか?」の条件から逸脱してしまいました。それまでは、自社で求められていたスキルは「プログラムを開発できること」「プログラムを開発できるスキルを新入社員に教育できること」でした。しかし、業務形態が変わり、社員自らプログラムを開発できるかどうかは関係がなく、外注を使い、以下に迅速にミスなくシステムを収めることができるのかがテーマとなりました。もちろん、すでにプログラマーではなくシステムエンジニア、あるいはシステムインテグレータとして十分なスキルが身についていた社員は、この壁を乗り越えることができ、難なく組織改編後も会社に残ることができました。しかし私はまだ「プログラマー」としての教育とモチベーションしか確立していませんでした。もちろん、数年かけてセミナーや研修を受けるなどしてその状態に引き上げることもできたかもしれませんが、諸事情により猶予がありませんでした。
毎日スキル不足に悩まされ、通勤電車に乗ることもできなくなりました。会社の産業医にも相談しました。しかし、この調整に時間をかけるのは無駄に感じました。環境を変えることが最大の改善です。実際、ストレスからくる手足のしびれを感じるようになっていたため、
心療内科から診断書を取得し、それ相応のミスマッチを会社に説明することにより、退職を申し出ました。

男性・サービス業

数年前まで外食フードサービスの会社で勤務していました。その会社を辞めてから何年か経ちますが、今改めて思いだしてみると、かなりブラックな労働環境だったように思います。しかし恐ろしいことに、実際に働いている頃は、何かに疑問を持ったり、何かを考えることが出来なくなっていました。毎日の激務で肉体的にも精神的にも疲弊しきっていました。具体的に例を挙げるなら、やはりまず休みがないというのが一番辛いものです。私はその会社に勤めている間、3ヶ月に1回休みがあるかないかという状況でした。はっきり言って、かなりの薄給で毎日朝から晩まで働きまくりました。もちろん毎日がサービス残業です。退職の時は、退職願いを手順通り出しました。社長に引き留められましたが、逃げるように辞めました。

男性・小売卸売業

当時の職業はアパレルメーカーです。私は営業担当で日々業務にあたっていました。営業マンなのでいろいろなところに行くわけですが、必ずお昼には事業所に帰らなくてはいけない。なぜなら上司のお昼ご飯パシらなければいけないからです。しかも数円から数十円ですが必ず上司におごらなければいけなかったので辛かったです。それ以外にも給料日にお給料が振り込まれず2~3日の遅延は当たり前でした。因みに給料日は毎月25日でしたが4年間在籍で25日にお給料が振り込まれたのは1回だけでした。給料日に、目にゴミが入って網膜炎になり、営業の交通費精算もしてもらえず眼科にもいけず目がかなり腫れた状態で社長に直談判でお金を下さいと訴えたところ、社長がご自分の財布から一万円札を出し、オレは二代目のボンボンやから金持ちやねんと言われ笑いながら話は流されました。その流れで仕事は辞めました。

男性・サービス業

月の残業時間は150Hを超えていました。自分の給与査定に自身の残業時間の抑制という項目がありました。残業時間を45Hに抑えなさいというものでした。60Hで10%評価減。80Hで20%減だったので、必然的に給与は下がる査定になっていました。残業代は45Hがみなし残業として支払われており、基本給200,000円ほどでした。したがって、毎月の勤務報告は定時で報告していた。スケジュール予定に残業時間となる時間帯に記載していても、勤務時間を定時としていましたが、その報告を承認していたのも上長です。会社ぐるみでサービス残業を強制するような体制や風土である会社であることはまちがいありません。私は、体調を崩し会社を辞めました。辞める時は、この状況である証拠を労働基準監督署へ相談にいき、労災の可能性があるということを確認したうえで会社に報告したことで、スムーズに退社することができました。

男性・製造業

入社して間もない頃、勤務開始1時間前に出勤して上司に挨拶しても無視されます。誰が見ても完璧な作業準備をしても、上司から「バカ!そんな準備のやり方だったらもう1時間早く来てから準備しろ!」と言われ、これを部長に伝えると「そんなのは当たり前。お前の要領や段取りが悪いだけだ!努力が足りないだけだろ!お前みたいな人間はクズだ!お前がここでどんなことやっているのか書いてこい!」と言われ、その日から毎日、業務後に原稿用紙3枚分の反省文を書くよう言われました。残業は毎月、80時間オーバーが当たり前で残業代は支払われませんでした。この状況では肉体的にも精神的にも辛い状況だったので、上司に退職したい旨を伝えると、無言で退職届の紙とボールペンを私に渡しました。上司からの労いの言葉は何一つ無く、凄く腹が立ったのを鮮明に覚えています。

男性・IT・情報通信業

北海道から東京へと転勤になり、下請け作業プログラマーとして、難易度の高い仕事(ソースプログラムが100万行はある)で、帰宅時間が終電が原則になっている企業で、対応するのが大変だったことでした。私が退職してから、その企業の製品のバグで、東京証券取引所が一時ストップしたことがあります。管理体制がぐちゃぐちゃで手が付かない状況やパワハラ日常茶飯事でした。この企業は、席が少なくなると別の会社で作業することもあり、会社構造もスパゲティー化していたと考えられます。
結局、精神病にかかってしまい、北海道の自社(受注元)に帰り、離職票や雇用保険などの手続きをすることによって、この会社から離脱することができました。

女性・製造業

就業規則で、出勤時間は8時30分と決まっているのですが、8時までに出勤しないと上司から「遅いぞ!」とイヤミを言われました。また、退社時間は17時なのですが、毎日19時まで仕事をさせられました。しかも、残業手当は19時を過ぎないと支給されないと言われました。毎日決まって10分前になると上司から、「仕事終わるぞー。片付けろー。」と言われ、19時前にはタイムカードを押すことになります。だから、毎日2時間近いサービス残業を強いられていたのです。従業員30名ほどの小さい会社で、社長もワンマン経営で誰一人逆らえない状態でした。私は4年間勤めましたが、将来結婚して子育てしながら勤めることを考えると、続けていくことは無理だと感じ、転職を決めました。退職する際、サービス残業が精神的にも肉体的にも辛かったと伝えましたが、今現在改善されているかどうかはわかりません。もう20年前のことで、初めて勤めた会社でもあり、若くて無知だったこともあり、どこの会社もそんなものだろうと思っていましたが、今思うとかなりブラックだったなと思います。これから未来ある若者たちが、不安を抱きながらも期待と夢を膨らませて社会に出ていくことと思います。経営者の方々は、そういった貴重な人材を大切にしていただきたいと思います。

女性・サービス業

東京に本社がある企業です。ブライダル用のムービーやペーパーアイテムを扱っています。基本的に月4日しか休みがありませんでした。しかも、毎週火曜が休みなので、火曜が祝日なら営業します。そうすると月3日しか休みがないことになります。更に、雇用保険しかかけてない状態です。私は支店勤務でしたが、本社は9時出勤で終電で帰れればラッキーなぐらいの拘束時間です。中には、体調不良で退職する方もいました。私の退職理由は「結婚」です。嘘をついて辞めました。私が所属していた支店は、私を含む2名で運営しておりましたが、1人でも問題ないぐらい来客がありません。当時、交際していた方がいましたし、会社にも交際相手がいることを伝えていましたので、スムーズに退職することができました。退職後、1度は顔を出しましたが、それ以降は誰とも連絡を取っていません。

女性・金融・保険業

トレーニングの時点から謎に残業があったり、上司そして同僚からのパワーハラスメントが特に酷い会社でした。「お前やる気あるの」というような暴言があったり、上司からの圧を日常的に感じながら仕事をしてました。離職率に関しては3ヶ月で80%の人が辞めていく環境で病気になる方も多かったように感じます。過剰労働に対してお給料は安く、水も飲みに行けない状況でした。私がこの会社をやめる気かっけとなったことが上司そして同僚からの過酷な嫌がらせでした。毎週のように体調を崩し、身体の調子が悪いと感じ始めて病院に行ったところ、医師から休養が必要と言われました。その結果、人事に現場の状況を報告し、過酷な勤務から体調を崩し休養が必要なため退職をしたいことを伝えました。

女性・その他業

映像系の会社に勤めていました。3日連続徹夜は当たり前、上司からのパワハラ(0時にタイムカードを切った後に唐突に始まる3時間の説教、人格否定発言、プライベートに介入してくる)は当たり前。私の所属する部署の新人は私だけで、同期は皆、休みを満喫している時も私は有給、夏休みはそんなものをとってる余裕があるのかという圧力を受けてとらせてもらえない等のブラックな勤務状況でした。役員に訴えても、私の直属の上司には強く出れないらしく、なあなあで済まされどうすればよいのかわからない状況が2年つづきました。結局2年目にストレスと眠れない、休めない日々により十二指腸潰瘍、過呼吸、過敏性超症候群、逆流性食道炎を発症。体調不良により半年の休職をすることになりそのまま会社をやめることになりました。私がやめる頃には私の部署は最初8人いたのが2人に減っていました。体調を壊していなくてもそんなに長続きはしなかったと思います。

女性・サービス業

福祉用具を一般家庭へ販売・レンタルする職場で働いていました。勤務状況で一番ブラックだと思ったのは、定時で帰ることは許されず、残業もいくら残っても20時までしか申請してはいけない、と決められていることでした。当時、営業として働いていたのですが、定時には帰ろうと思い、定時の1時間前に外回りから帰社したところ、「まだ定時まで1時間あるから外回り続けて」と追い出されたりしました。外回り後、事務処理もあることを考えての帰社だったので、そのようなことを言われて本当に驚きました。また、定時後に帰社して事務処理、翌日の準備を行うと、どうしても仕事の終了は20時半を超えてしまうのですが、「36協定にひっかかるから、終業時間は20時で統一」と言われたことも、本当に驚きました。サービス残業が増え、とてもツラい思いをしていたのを今でも覚えています。辞める際には、遠距離恋愛中の恋人がいることを上司に知られていたこともあり、「遠距離恋愛中の恋人と結婚することになり、引っ越すので退職する」と伝え、円満退職しました。

女性・その他業

日曜日だけが休みで、あとは月曜日から土曜日まで朝5時からだいたい夜10時までで最悪深夜0時までとかにもなるブラック有限会社です。社長は7時ごろに帰らせてくれるんですが、常務(息子)が社長(父)のことを嫌っていて、私たちは帰ったフリをして別のところで待機させられ社長が帰った所で常務から電話がありまた会社に戻るという意味のない仕事をします。しかも、給料は月13万しかもらえないです。それと、常務のセクハラがあります。どさくさに紛れて必ずおしりを触ってきます。あと、腰にも手を回してきます。常務だけでなく社員もセクハラしてきます。わたしがパソコンを打ってる手をいきなり握ってきます。他には仕事で失敗したら5000円位のギフト買わされます。辞めた理由は父親がDVで、母親が心配で私がいないと何をするかわからないのて辞めさせて下さいと言いました。

女性・医療業

宮城県の病院に勤めていた時のことです。もともと忙しい事で有名で、夜間も必ず空いていて24時間営業が売りの病院だったため、ある程度覚悟して入職したのですが、想像を絶していました。もちろん患者様のためには病院が24時間体制なのはとてもありがたいことではありますが、あまりにも過酷なためにどんどん看護師や医者が辞めていき、次の人がはいってきてもすぐに辞めてしまうために常に人員不足でした。私が働いていた時も、あまりにも対応する人数が多くてカルテが書き終わらず、6時に一度娘を保育所に迎えに行って、夕食を作って食べさせお風呂に入れて寝かしつけてから、22時頃に病院へ戻ってカルテ書きを再開する、といった毎日でした。辞めたのは、たまたま旦那が転勤することになったので、「それはどうしようもないよね」と納得してくれましたが、抜けた後の穴をどうやって埋めなければならないか、どれくらいの損失になるかなど、ネチネチと言われ続けました。

女性・その他業

10時出社の18時勤務の職場でした…建前だけ、、タイムカードなしなのに1分でも遅刻すれば午前休扱い、なのに残業は1日平均4-5時間、、毎日終電はあたりまえ、午後9時頃連絡が来て明日の朝までに修正しといて!なんてのも当たりまえ、しかも残業代なしで会社に泊まることもしばしば、入社前は残業1、2時間くらいかな?なんて言われて入ったのに意味不明でした、、。女性ばかりの職場だったので先輩はほとんどがモラハラだらけ、でおかげメンタル面と過度な残業で体調を崩し、治らない病気の診断をされました、それなのに検査、病院は有給を使われていやなので、もう有給ないから給料減らすけど?と言われ、医者からも残業は控えるよう言われたら今度は残業ができないならパート料金でもいい?とまた意味不明なことを言われたので話の通じる会社ではないなと思ったので医者に診断書を書いていただきやめました。

女性・金融・保険業

 契約が解約になったりすると、給料が減ったり、社員でなくなります。最悪なのは月の給料がマイナスになって、マイナス分を手出しで会社に払わなくてはなりません。事務員の人にこっぴどく、たたかれて病気になる人もいます。最低保証どころの話ではありません。働く者の人権ってあるはずですが、来る日も来る日も、会社のお荷物になっているように感じてしまいます。辞めると言うと、会社も追いかけてはきませんので、どうにもならない人はそのまま辞めます。そのような状態で辞めてしまうと、退職金も出ませんので、契約を頂いて結果を出してから正社員に戻るという方法で辞めた方が賢いです。実力が問われるのが社会ですから、仕方ないですが、ノイローゼや自殺になる人が多い会社だと後から知りました。

女性・小売卸売業

開店の1時間前に出勤し、掃除や開店準備がありますが、タイムカードは開店時間から押すことと決まりがあり、閉店時ももちろんタイムカードを押してから残業でした。勤務中の怪我でドクターストップがかかっても、労災も認めてくれず、休みももらえませんでした。更に、ノルマがないはずなのに設定され、売れなければ自腹購入させられました。毎月3万くらいは出ていきました。また、仕事に使う資格取得に関して。勉強会の開催と受験費用、1.7万円は会社持ちとの入社説明のはずが。入社後は勉強会は一度も無く、受験費用も自己負担。昇給査定は形だけ、社員全員毎年下がる給与とボーナス。30代後半の正社員がボーナス80000円では生活もできずでした。精神的にやられてしまい、通院となり、退職しましたが、散々罵られ、催促するまで書類も出してくれませんでした。

女性・その他業

某パソコン教室のフランチャイズで働いていました。時給は授業中のみ反映でその他の事務処理等はサービス残業でした。毎週毎に行われる会議も強制参加の上、無時給でした。その上、授業に入れるのも一日2時間。週休1日でした。その為、月給にすると10万足らず。副業するにしても最初の授業が朝の9時から最後の授業が夜9時までなので時間的にも融通が利かず難しい状況でした。ある日、社長が無資格で株投資の授業をしていると訴えられて警察の家宅捜索が入り、会社も当時の社長ではなく奥様に譲るという話になりました。奥様にもご主人にも今後も教室で働いてほしいと言われましたが、金銭的にもとても苦しい状況だという事と先行きが不安だという事で退職しました。
その会社は1か月後倒産しました。

読んでいるともう憂鬱になりますよね…。

働いてもその分が支払われないのは、普通にサギですよね?

そしてストレス、ノイローゼ、うつ病という要らないものまで貰って…。

自分は何のために働くのか、しっかり自問したいところです。

今も昔も、良い会社に巡り合えるかはギャンブルです。

でも現代はハズレを引く確率がめちゃくちゃ高いと感じます。

転職を繰り返して行き着く先は本当に幸せなのでしょうか?

リスク分散のために自分で稼ぐという行動を取った人が、この先も幸せに生きていけるのではないでしょうか。

もちろんお金の面だけでなく、精神面や人間関係の観点からも…です。

40代のブラック企業退職理由・退職方法!

男性・小売卸売業

以前、某家具屋のネット販売部にて働いておりました。その会社は、定休日は無く年中無休のお店でしたので、決まった休みは無かったのですが、私の休みは月に2日程度あれば良い方で、ひどい時は3か月間無休で働かされました
。しかも、残業手当なしでの残業は当たり前で、毎日ほぼ10時間労働を強いられていました。そんな生活を約2年ほどやりましたが、体が悲鳴を上げてしまい止めざるを得なかったのですが、そんな言い訳はいらないと、一向に止めさせてくれませんでしたので、第3者(弁護士)を間に入れて、そのお店を相手に訴訟を起こそうと思い、そのことをお店の従業員に相談したら、社長に伝わり、社長はビビってしまったのか、すんなり辞めさせてくれました。

男性・サービス業

その小さなお店は完全に傲慢な女性店長の独壇場でした。お客様に接客してももし売れませんでしたら、罵られ、なんで売れないわけ?と鬼のような剣幕で睨まれました。残業代は一切出ませんでしたし遊び放題の店長様は前日になり旅行に行きたくなると、明日出勤してねと言うのは日常茶飯事でした。源泉徴収票も出しませんし本人は三食外食。終電まで店に意味もなく残りユーチューブなどを見てる人でした。もちろん、失業手当すら出しません。私は死を考えましたが、幸い店舗が並んでいましたので、私はなんと、その隣の店舗で盗みをしました。警察が来て、示談になりましたが、その傲慢女性経営者は自らのプライドが許さない人間でしたので、やめてもらえるよね、はい、責任取りやめさせていただきます、そして散々こき使われた地獄から抜け出せました。

男性・製造業

ある大手電機メーカーで開発の仕事をしていましたが、仕事量が多過ぎて毎日のように夜中まで残業で、午前様になることも珍しくなく、休日出勤も当たり前でした。私の下に部下を付けてくれましたが、課長やグループリーダーがその部下に自分の仕事を依頼し、私は部下に仕事を依頼できる状況にありませんでした。課長に相談しましたが聞き入れてもらえず、私の仕事量は減らず一人で頑張っていました。残業が月100時間を超えると怒られ、しなくても怒られる酷い職場で、定時日でも残業申請すれば簡単に残業できる職場でした。グループリーダーにこれ以上出来ませんと相談したら、なんで出来ないんだとキレられました。毎日仕事をしているうちにどんどん体調が悪くなり、病院に行くと適応障害と診断され、2ヶ月ほど求職しました。その後、復帰しましたが、このままここで働いていると廃人になってしまうのではないかと思い、課長に直接辞めたいという事を話しました。最初は仕事を軽減するからもう少し考えてみてはと言われましたが、それまでも何度も相談していて全く改善されていなかったので退職を決めました。私の場合は意外と簡単に辞める事ができました。私以外にも次々と退職していく本当に酷い職場でした。

男性・製造業

企業城下町でも無い山間部の会社、専門的な機械の製造と会社のサイトに記載ありました。面接の日も事務室までの道中にもそれらしい機器は見えず、今は出荷した後?と面接をうけてアルバイトで採用と言う話が、初任給の日明細見たら業務委託でした。直接上の上司が主任設計者で話を聞くと「この会社にサイトがあったん?」と初耳そこでサイトで見た話をしたら「そんな事ないよ そんな機器僕もやりたい」とおっしゃいました。業務委託だったからというならわかりましたが、勤務時間は不安定。もう仕事無くなったから今日は、ここで片付けて(退社)と指示があり報酬もまちまちでした。そんなすったもんだしている内(他にも沢山 パートの女性を採用したけど指導もせず放置してそのまま出社拒否して解雇など)に、私の後に採用された方が話しかけてきて「一緒に辞めませんか?」と相談されて、その後主任設計者も「私もここと契約切ろうか?と考えてる。どう思う?」と相談されてる内に私の後に採用された方と時間差で退職の意思を伝える事にしました。

男性・製造業

配属された部署が得意先に席を置いて常駐する部門で、4畳ほどのフロアの一角に中年男性3人が顔を合わせて問い合わせをただ待つ仕事だった。自分の会社ではないのでウロウロ出歩く事もできず、息が詰まる日が続いたが、中でも1人の人間が周りの2人と馴染めず、小競り合いが絶えなかった。本社に人員の入れ替えを何度申請しても取り合ってもらえず、窓際族のような一線から外れた扱いをずっと受けていて、見えない離れた環境で頑張った所で誰が評価してくれるのかも解らず、不満がたまる一方だった。そんな時に問題の1人とついに喧嘩になり、場所が得意先のフロアだった為に問題になった。本社は人員の入れ替えの要請を全然聞き入れなかったくせに、問題が起きてから懲戒解雇だと騒ぎだし、辞める事は構わなかったが20年以上働いてきて退職金も出なくなる危険性が出てきた。結局弁護士を依頼し、労働基準監督署に相談に行ったりして労働審判を立て、解雇の扱いではなく退職金をもらって退職する事ができた

男性・小売卸売業

社内の地方営業所に入社した私でしたが、入社面接時に住居移転を伴う転勤があることを了承していたこともあり、入社後数ヶ月で県外に転勤となりました。会社側で私の住居を探してくれたのですが、その場所は会社から徒歩2分という距離でした。一見、通勤に便利と思いがちですが雇い側の思惑は通勤時間が削れる分、他の従業員よりも早く出社させ、遅くまで仕事をさせ、交代休であったとしても要員が不足していたら真っ先に声がかかり出社させるものだということでした。その体制に疑問を感じ、辞めることを考え始め、まずは休日にかかってくる電話は全て留守番電話とし、極力外出をすることで休日出勤を回避。平日の長時間労働も月々のタイムカードをコピーして保存をし、それを半年分貯めたところで会社側に退職の意思を伝え、あれこれ言ってきましたが、そのコピーを持って労働基準監督署へ相談に行くと伝えると態度が変わり、退職を受け入れ、辞めるに至りました。

女性・小売卸売業

ブラック企業にありがちな、残業代がつかない・有給が取れない・販売目標と言う名のノルマがあるの三重苦でした。タイムカードがなく、手書きの勤務表を各自で作らされ、そこに毎日上司のハンコをもらわないと出勤扱いになりませんでした。有給は辞めるときにしか取れないと最初から言われていました。冠婚葬祭も介護も入院などの休みも一切、有給が使えませんでした。もちろん慶弔休暇も介護休暇もなし、傷病手当の申請も許されません。なぜか産休と育児休暇だけはしっかりあって、女性は次々休むので人数が半分以下になったこともありました。販売目標と言う名のノルマは、普通に仕事をしていたら全然届かない金額が勝手に設定されます。みんな家族や親せきや友人を連れてきて買ってもらっていましたが、私にはそういう人がいないのでいつも怒られていました。辞めるときは上司に辞める意思を伝えただけで、勝手に退職日が決められたので苦労はしませんでした。

女性・その他業

冠婚葬祭業の営業をしていました。勤務時間、AM9:00からPM6:00 土日祝お休みでイベントなどがある時は出勤になるが、他曜日に振替休めるとの事でした。実際働き始め2カ月目くらいから、毎週末のようにイベント出勤があり、前日の準備から期間中3~5日間、最終日撤退作業まで、一日13時間勤務していました。イベントが終われば来ていただいたお客様宅に訪問勧誘の仕事があり、平日に休暇取ることが出来ませんでした。入社半年も経たないうちに、冠婚、葬祭に関する研修指導もなく急に、お客様との打合せ、式当日のアシスタント業務をするよう指示があり、イベントの無い週末も式典などで出勤が増え、月末が近づくと数字が足りないと上司からいわれ、休むこともできず朝から晩まで数字を追いかける状況でした。当時は休めて月2.3日でした。給料は数字が足りないなどの理由で月収10万満たない、営業活動に自家用車を使いましたが、交通費はもちろん営業手当も頂けない会社でした。それでも、4年近く続けていましたが2カ月間給料未払いがあり。このままだと生活が出来ない事を伝え、給料の支払い請求しましたが、頂けなかったので退職しました。

女性・不動産業

手当は出さないが残業をしないと評価を下げる、と言う企業でした。繁忙期に幹部クラスだけでミーティングと称して保養所に消えて連絡がつかなくなることもありました。決済が必要なのに連絡がつかず、のちにクレームになってしまったことを大勢の前で叱責する理不尽な状況で、体調不良になる人もいました。私の場合は、平日に週末出勤の振替休暇が取れたので(それでも隔週でしたが)、その際に転職のための活動をして面接などに当てていました。幸か不幸か、雇用契約書と言うものがなかったので、他社への採用が決まった時点で有休消化に入り、ほぼ即日で辞めることができました。
色々ごねられましたが、今までの勤怠記録を持って労働基準局に行く、と伝えたら記号がそのまま通りました。

女性・その他業

9時から18時までの勤務で募集時には残業手当別途と書かれていました。しかし実際には残業は事前申請の承認制と言われ、基本的に承認されず、また作業納期が延長されることが無い為、実質サービス残業となります。また、募集時の給与条件には残業手当は含まれておりませんでしたが、途中から条件の中に固定残業手当を含むことにすると変更されました。また18時までが定時でしたが、18時や19時から会議を週に数回行い、そのうち週に1回程度は結論が出ていないから帰せないと、明け方まで拘束されることがありました。翌日も9時から勤務が開始となる為、全員徹夜の状態で、翌日の勤務をこなさなければならないことが多々ありました。また、営業担当者についてはGPSで30分おきに居場所を確認し、少しルートを逸れたり休憩を取ったりしていると、10分おきに居場所を確認させられました。居場所確認時には営業担当者に、確認していることが通知されるシステムであったため、監視の目が気になるので止めてほしいと申入れが有りましたが、申入れを行った者はノルマを上乗せされ、未達成で給与カットするという手法を取っていました。もともとのノルマが結構厳しかった為、給与をカットされることに耐えれず、営業担当の入れ替わりが激しかったのですが、その責任は募集を担当した総務担当にあるとして、総務担当の給与もカットすると言われたため、最大手の取引先担当者に訴えかけ、そちらから私個人へのクレームを入れてもらう形で退職させてもらいました。当然退職金等は支給されませんでしたが、退職できただけでも良かったと思って諦めました。

女性・小売・卸売業

「パワハラ・モラハラな言動=熱血指導」だと本気で思っている店長のもと、有名衣料品チェーンで働いていました。サビ残、暴言や人格否定、怒声は当たり前でした。勝手にシフトを組まれ、ほとんど遊びにもいけなくなりました。少し仕事ができるようになると嫌がらせが始まり「やっぱり出来てないな」「こんなこともできないんだね」と見下し要員として在籍させられていることに気づき、早々に辞意を伝えたところ「絶対に逃がさないから」と言われ戦慄。支配欲の塊のような経営陣で、ときには優しく、ときには横暴に絡めとろうとしました。イジメ依存のような危険人物に思えたため、夜逃げを決意。ある日突然前触れもなく遠方へ引っ越しました。あとで聞くと、そういう行為を繰り返してお給料を支払わずにやり繰りで経営していることが判明。たくさんの人が急に音信不通になっている会社でした。ですが彼らは「働き手としての我慢が足りない」と心から思っていたようで、自分たちのやり方に嫌気がさし逃げられているとも気づいていませんでした。

女性・不動産業

私の勤めていた会社は、パワハラがすごかったです。上司が、かなり変なひとで、俺の命令にそむいたら、ひどいよ?という雰囲気をいつもかもしだしていました、もちろん、そんなことは口はだしませんが、行動でしめしたりました、私がじゃないです、若い女子社員は、食事にさそわれたり、家に、夕ご飯たべにきなよとかいわれておりました、影で絶対いかねーとかいってます。私もそんな状況をみているのは、すごく、気分がわるいので、辞めることにました、辞め方は、有給があるとおもうので、退職をつたえましたら、めいっぱい有給をとり、できるだけ、会社に行かない方法でした、これでしたら、気まずい雰囲気もあじあわなくていいので、楽に退職できます。

以上、50人に聞いた、ブラック企業を辞めた退職理由と退職方法でした!

まるでドラマの世界みたいな会社って、こんなにあるんですね!

しかも信じられないような人間ばかり…。

 

転職を考えているなら、まずはこちらをご一読を!

転職の失敗例・失敗談50例!20代、30代の失敗しない、後悔しない転職方法とは? いま、転職市場が活況を帯びています。 どの会社も人手不足で、猫の手も借りたい!と思っている会社も少なくないでしょう。 ...

 

アンケートから言えることは、これからは会社の言うことばかり聞いていたり、会社に頼っていては自分が破滅するかも!ということではないでしょうか。

もはや自分で考える余裕すら消され、ひたすら働くことを強要されては、本当に命の危険さえあるかもしれません。

会社に従って働くばかりが人生ではないと思います。

私の人生は私のものであるように、あなたの人生もあなたのものです。

よく考えて、過ごしていきたいですよね。

 

ですので私の場合、自分でブログを使って稼ぐという道を歩いています。

複数の収入源があれば、何かあった時の保険にもなります。

さらに本業と同じくらい、またはそれ以上の収入を稼ぎ、脱サラしてストレスのない日常を過ごしている人も沢山います。

これからの時代、そのような生き方があってもまったくおかしくありませんし、世界を見てみてもそのような人は数多くいます。

 

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POSTED COMMENT

  1. takasan より:

    複数の収入源が必要ですね。ホントそう思います。

    • Kosuke より:

      コメントありがとうございます。
      おっしゃるように複数の収入源を持つことは精神的な支えになりますし、
      新たな道へ踏み出すきっかけにもなりますよね。

      これからもぜひご訪問ください。

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