『社畜(しゃちく)』…こんなホットワードが世に出てどれくらい経つんでしょうか。
しかもずーっと使われ続けています。
それくらい、今の日本ではこの「社畜」に悩んでいる人が多いと思います。
そもそも社畜というものは、いつの間にかなっているものだと私は思います。
忙しい、不景気、人が足りない、トラブル発生。
そんな理由から目の前の激務に容赦なく放り込まれ、ほっと息をつく暇すら与えられず、考える力すら奪われてしまえば、会社にとって最も都合の良い「社畜」の出来上がりです。
優等生ほど潰れてしまう
いきなりですが、「残業」「自殺」のキーワードでニュース検索してみると、いくらでもニュースが出てきます。
残業をすればするほど肉体的・精神的にひどく疲れ、考える気力もなくなり、目の前の仕事をただただ処理するロボットになり果ててしまうことは、これまで多くの事件での手記や証拠として報じられています。
終わりのない絶望の中、逃れることのできる唯一の道は「命を絶つ」ことだと考えてしまうのでしょう。
以前別記事で紹介したTwitterマンガが、それをわかりやすく教えてくれています。
残業を強いるのは会社だけでなく、取引先、関係先、家族や親せきの視線、様々な周りの環境も要素の一つと思います。
「この仕事を終わらせないと迷惑がかかる」
「自分以外にもこの仕事をやる人間はいない」
「やってもやっても終わらない…。でもやらなきゃ怒られたり失望されたり…」
優等生タイプの人、言い換えれば責任感が強い人ほど「能力がなくて仕事が遅い自分が悪い」という、強迫観念とも言える”自責の念”が自分を追い詰めていきます。
また優等生タイプは挫折や失敗経験が少なく、ストレス耐性が少なくて立ち上がったり起き上がったりする能力が乏しい場合があります。
そんなことが重なってしまうと…。
行き着く末路は…責任を取っての「自殺」や、際限ない残業の果ての「過労死」です。
「死ぬくらいならそんな会社辞めればいいのに」
そう言われればその通りなのですが、渦中の人にとっては冷静な判断も難しかったり、辞めた後どうすればいいかわからなかったり、すぐには決められないと思います。
私が残業漬けだったり会社に何十時間もいたりしたときは、ブチ切れそうになって顔にフキゲンが出まくっていたので、自分を責めることはあまりなかったのですが…。
そう考えると「自分の感情や考えを押し殺す」人の方が、悲惨な結果を迎えることになると言えますよね?
自分勝手な利己的人間になったもの勝ち?
「自分のせいではない」
「周りが悪い」
「なんでオレ(私)がこんな目になっているのか」
こういう感情を持ち続けられる人は、自ら命を絶つまではいかないのでは?という持論があります。
苦しいけれど、自分が潰れる前に逃げたり投げ出したりする切り返し方を知っているからです。
ひいては、自分を中心に行動した人の方が、人生の勝者になれる世の中だと私は感じています。
そもそも、声の大きな人の方が、会社でも社会でも利を得ていると思いませんか?
会社や取引先でも役職が上の人の目に留まったり、グループの中心的存在という見られ方をしたり、この点については日本でも海外でも同じかと感じます。
もちろんクレーマーほど極端な人間になれとは言うつもりはありませんし、クレーマーまでいってしまうと社会的に叩かれる雰囲気が醸成されてきていると感じます。
でも最近の社会人としては、「出しゃばってはいけない」と身を引くよりも、「私はこう思います!」と主張したほうが、「こいつは自分をしっかり持っているな」と評価されるように思えます。
「言いたいことは我慢せずに言う」
「信念をもってやりたいことは、やるべきだ」
言動や行動によっては、周りから「こいつ面倒くさいな」と煙たがられるかもしれませんが、無理強いされたり不条理なことを言われたりすることは圧倒的に少なくなるはずです。
何故なら、そんなことをすれば、した本人にも面倒なことが降りかかってきますから。
ですから、引っ込み思案だったり、あまりしゃべらない性格の人は、損をしているように思えます。
会社のため?あなたの健康と命と人生はあなたのもの!
残業やパワハラで苦しみながら会社で働いているならば、決して「会社のため」という思考に陥らないでください。
日本の教育は「全体優先主義」が基本となっています。
もちろん社会貢献や国への貢献を求める声は、外国でも教育の根底にあります。
アメリカのジョン・F・ケネディ大統領(車上で銃撃されて亡くなった悲劇の大統領です)の有名な演説で「国があなたに何をもたらしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」というものがあります。
しかしそれは戦争の一歩手前といった緊張状態の中で生まれたもので、この精神がそのまま現代のアメリカに馴染むかは疑問です。
ボランティア、奉仕活動、ボーイスカウトといった、グループなど集まりを形成して活動を行い、道徳心の向上やリーダーシップ力などを習得する流れがアメリカにはありますが、日本と根本的に違う点は「自分を犠牲にする」という考えはない点です。
日本はとにかく「個」と「全体」を分けたがります。
会社員など肩書や立場がある人は、自分の考えをコメントする際に「個人的には~」という枕詞を頻繁に用います。
他にも「公私混同」「滅私奉公」など、はっきりとしています。
太平洋戦争時、戦争に協力しない、戦争に反対する人々を「非国民」「国賊」「売国奴」と社会全体が言い放っていたことは、結構有名ではないでしょうか?
そしてコロナウイルス騒動でも、感染拡大防止のための外出自粛をしない人に対し、「自粛警察」なる意味不明な市民正義マンが、県外ナンバーの車に張り紙や傷をつけたりしています。
このようなことを見ると、日本という国は全体主義が好きな国なのかな~ と思ってしまいます。
大分前置きが長くなってしまいましたが、「会社のために頑張って働くのは当然」「あなたが給料をもらうために、身を粉にして働くのは当たり前」という考えは、戦争後の高度経済成長という成功体験も背中を押しているとも思います。
やればやるほど、働けば働くほど業績も給料も伸びていった時代でしたので、今でいう残業規制など真っ青なほど当時はみんな働いていたと思います。
多くの人々が貧乏だったから、金銭的に豊かになりたい一心で我慢できたのかもしれません。
でも、身体や心を壊したり、死んでしまえば、稼ぐも何もありません。
あなたの身体や心、健康はあなたのものです。
私の健康も私のものです。
会社に対してお金や信頼、評価と引き換えに渡すとなっては、大きな代償ではないでしょうか。
繰り返しますが、身を滅ぼしては何も意味はありませんし、そうなったら会社は容赦なくその人を切り捨てます。
それ以上会社に貢献できない人を、会社がリソース(金、人)を使ってバックアップすることは理にかないません。
騒ぎを起こされて会社の評判や価値を落としたくないために、ある程度は対応を余儀なくされますが、ただそれだけのために行われるものです。
壊れる前に、あなたらしい人生を取り戻す
ならば会社に属さず、個人事業主のほうがいいのかというと、それはそれで請負契約などで仕事をすれば会社の奴隷となってしまい、社畜とあまり変わりません。
発注側の企業としては労働基準法の制約を受けないから、望む結果が出るまで長時間労働させまくっても我関せずで、企業にとってはもっと都合がよくなるばかりです。
それならば、「自分を選んでもらう」立ち位置での仕事を見つけるほうがいいと思います。
自分にしかできないスキルを持っていれば、うまく発信して稼げるかもしれません。
私の場合は、ブログを一から学んで運営し、収益を発生させています。
それは数多くの世界中の人々から「選んでもらえる(検索してもらえる)」ブログを作ったからであり、それは正しいやり方、適切な作業量を実践すれば成功率高く実現できます。
現在会社に勤めてしたり、アルバイトなどをしている方でも、副業から始めて結果を見定めることが出来ます(私はこのパターンでした)。
将来性がある!と見込めば継続してブログを成長させればいいし、「私にはムリだ…」となれば、また別の道を探すのもいいかと思います。
もしブログにチャレンジしてみる!という方は、下の画像バナーをクリックして、初心者向けブログ運営の教科書「Passport to UTOPIA」(無料)をダウンロードしてみてくださいね。