森で、街で、好きな時に行ったり来たり。
デュアルなスタイルで生きてみた。
あなたはどんな生き方をしたい?
社畜サラリーマンとして働く日々が苦しくて仕方がなかった時にPC1台で稼ぐスキルをマスターし、会社に縛られずに自由に生きていけることに気付く。
今の生活に悩みや不安を持っているなら、まず月収10万円を目指して一歩踏み出すことで人生は変えられる。 私がそうであるように ー

Kosukeのプロフィール

はじめまして!

デュアルライフクリエイター
Kosuke と申します。

私は東京で働く30代サラリーマンで、
ごくごく普通の会社員です…。

ただ、
家に帰ったらパソコンを使って
本業以外のお金を生み出している
という点は、

他の方とはちょっと異なる
かもしれません。

「デュアルライフ」ってどういうこと?
と思われた方もいるかもしれませんが、
私のヘンな経緯をお話しさせてください。

目次

1.デュアルライフクリエイターって何?
2.人生の岐路は学生時代にあった
3.サラリーマン不適合者に
4.海外移住してヒモになる
5.〇〇〇ビジネスとの衝撃の出会い
6.Kosukeはなぜ海外を目指すのか
7.海外でネットビジネスをやる必要性とは
8.Kosukeが一番譲れないモノ

1.デュアルライフクリエイターって何?

唐突ですが
「デュアルライフ」
ってご存知ですか?

もともとは、
平日は仕事のため都会に暮らし、
週末は自然豊かな田舎暮らしを
満喫するような、

二つの拠点を行き来する生活のことです。

 

先ほどとは逆に、普段は地方に暮らし、
月に何日かだけ東京や大阪といった都会へ
仕事のために出る人もいます。

 

このように、
日本の中だけで2拠点を行き来するのが、
デュアルライフの通常のカタチです。

 

ですが私の場合、
「日本」「海外」
行ったり来たりするような
今までにない新しいスタイル

目指しています。

 

新たなデュアルライフの形を作り出す、
『デュアルライフクリエイター』として、
歩んでいこうと強く心に誓ったのです。

 

 

 

2.人生の岐路は学生時代にあった

 

当時私は10代後半、
イナカの某大学に進学し
一人暮らしを満喫していました。

 

しかしそこで、
ある女性との出会いがあったのです。

 

その女性とは、
とある発展途上国からの留学生でした。

 

私と同じアパートに住んでいて、
普通の挨拶から始まった交流は、

いつしか恋愛感情に発展し、
程なく彼女と私は恋仲になったのです。

 

ちなみに彼女は、
私と出会わなかったら、
友人や家族のいない寂しさに耐え切れず、
退学して帰国しようと思っていたそうです。

…運命ってわかりませんね…。

 

えっ…
ノロケはどうでもいいって?

申し訳ありません(汗)
もうちょっとだけ
お付き合いください…

 

 

その”とある発展途上国”とは、
東南アジアにある中進国・マレーシア

 

東京から飛行機で6~7時間程度かかる、
イスラムの文化が色濃い多民族国家です。

 

 

そして、学生の頃に初めてマレーシアへ
遊びに行くことになりました。

いきなり彼女の実家で両親とご対面です。

えっ、マレーシアって何語?
オレのカタコト英語通じるの?
ていうかパスポートないじゃん!

 

と、急いでパスポートを申し込み、
旅行英会話の本を買ってきました。
(しかも100円ショップで…)

 

 

そして初めてマレーシアに行った途端、
いきなり激しく腹を壊しました。

 

と言っても食当たりではなく、
お腹を冷やしてしまったのです。

 

常夏の国で1年中暑いからか、
部屋もショッピングモールもバスも、
クーラーのかけ方が半端なく強いんです。

 

そしてトイレにはトイレットペーパーがなく、
水が出るホースが備わっていました。

そう、まさかの
素手でセルフウォシュレットです。

(でも実はそれをするのはマレー人だけなんですけどね)

 

初めての海外だったせいか、
日本と比べて異なる点が多すぎて
とにかくビックリすることばかりでした。

ある時乗った高速バスの運転手は、
2台の携帯電話を同時に話しながら蛇行運転。

しかも途中ヘンなところに停まって
友達を乗っけてました(笑)

 

スーパーのレジ店員は、
レジ台に腰かけ、くつろいでヤル気ゼロです。

↓コレです

 

食事もできるカフェは24時間やっており、
深夜でも早朝でも常に誰かしら客がいました。

明らかに働いていないような
客が多かったようでした(笑)

もちろん店員さんも
あまりやる気がありません。

 

 

でも彼らは、友人とコーヒー片手に
とても楽しそうにおしゃべりしていました。

店員もすごくリラックスした感じです。

なんだかユル~い、
心地よい空気を感じました…。

 

 

そこで私の中にある思いが芽生えました。

「日本みたいに真面目にバリバリ
 働くだけが人生じゃないんだな…」

そこから、
私の中で何かが変わり始めたのです。

 

 

3.サラリーマン不適合者に

 

その後、私と彼女は大学を卒業し、
お互い日本に就職しましたが、
その関係は続きます。

そして後に
私たちは結婚することになりました。

つまり、国際結婚です。

 

結婚するには、挨拶をするために
彼女の両親にも会いに行かねばなりません。

 

普通だったら、妻となる女性の実家まで、
例えば地方都市などに向かうところでしょう。

 

私の場合、その行き先が
海外でした。

 

 

そして私たちは国際結婚し、
翌年には娘も生まれたのです。

 

・・・

 

・・・

 

それから数年後、
私も東京でサラリーマンを続けて
もう10年になろうとしていました。

 

サラリーマン生活は比較的順調で、
山あり谷ありながら、
キャリアを重ねていきましたが…

 

しかし何かが足りない。

 

そう感じることが日に日に
多くなっていきました。

 

そんな中、マレーシアに何度か渡航し、
奥さんの家族と触れ合う中で、
発見したことがあったのです。

 

彼女には弟と2人の妹がいましたが、
彼女の両親は、彼らに一緒に食事することを
頻繁に求めていました。

 

確かに、マレーシアのテレビを見ていると、
CMで両親や祖父母を大切にする
シーンをよく見かけます。

 

3世代が一緒に暮らすシーンが
CMでもドラマでも、
そして彼女の実家でも実際に見られました。

 

 

私の日本の家族はというと、
典型的な核家族で、
父と母、そして私の3人きりです。

 

しかも私は鍵っ子で、
小学校の学童クラブから帰っても
一人で過ごすことが多いのでした。

 

一方マレーシアの一般的なオフィスでは
夕方5時~6時には終業し、
残業は皆ほとんどしません。

 

「残業するのは仕事が遅い無能!」
というイメージがあるらしいのです。

 

そしてさっさと帰宅して、
家族みんなで夕食を摂るんです。

 

マレーシアは基本外食なので、
彼女のお母さんも毎日は夕飯を作りません。

 

 

「昭和の日本も、こんな感じだったのかな…」

こんな思いも私の中に生まれました。

 

同時に、ちょっとうらやましい
気持ちも生まれたのです。

 

そんな感じの思いは、
どんどん膨らんでいきました。

 

「ただ会社のため?にバリバリ働いて、年を重ねるだけが人生なのか。
 家族のために、自分のために、生きてみてもいいんじゃないか」

 

そして、再び人生の転機とも言える
大きな出来事が迫ってきたのでした。

 

 

4.海外移住してヒモになる

 

ある時、奥さんの国から知らせが入りました。
奥さんの母親の具合が悪くなったのです。

そこで誰かが面倒を診るのを手伝わなければ、
という話が突如舞い込んできました。

 

そのとき、私はこう思い立ったのです。

 

「よし、会社を休職して移住しよう!」

 

今後会社で異動などすると長く休めなくなる、
もしそうなるともう義母の世話をすることは
出来ない、と考えました。

 

孝行する良い機会かもしれない、
または人生の転機かもしれない。

 

そう考えた私は、会社に休職を願い出て、
私と妻、幼い娘の3人でマレーシアの首都・
クアラルンプールに海外移住したのでした。

 

 

しかし英語も片言しか話せず、
TOEICの点数も絶望的だった私には、

海外で働くというハードルはとても高く、
特にアルバイトもせずに貯金を取り崩して
生活していました。

奥さんは働いているのに…

 

まさに情けない『ヒモ』です。

 

幸い物価は日本より安いので、
奥さんが現地で再就職した会社の給料と
貯金を合わせれば、
それなりの暮らしが出来ました。

 

プールとジム、サウナが共用設備についた
コンドミニアム(高級マンション)の
100㎡以上の部屋です。

これがなんと、
6万円台で住めたのですから驚きです。

 

ボンビーガールとか、日本のテレビでも
たまに紹介されていたりしますね。

 

↑実際に住んでいたクアラルンプール市内のコンドミニアムのプール。遠くにツインタワーが見える

 

私はマレーシアに暮らしながら英会話の学校に
たまに行き、義母の世話をしながら
常夏海外生活を満喫していました。

 

なんだかヒモっぽい生活で、
毎日が結構ヒマでしたね(笑)

日本であくせく働いていたのが
なんだかウソみたいでしたが…。

 

 

5.〇〇〇ビジネスとの衝撃の出会い

 

そんなある日、だらだらと
ネットサーフィンをしていると、
同じく海外で自由に暮らす人のサイトが。

 

その方はPC1台で稼ぎながら様々な国に
暮らしており、その自由さが私には非常に
魅力的に映りました。

 

その人がやっていたのが、
いわゆる「ネットビジネス」でした。

 

その方の無料メルマガに早速登録し、
有料教材を買って実践、ブログを立ち上げて
毎日3記事くらい投稿を続けていました。

 

PC1台で稼いで海外で暮らしてみたいと、
甘い夢を抱きながら…。

 

 

しかし作業を初めて3か月、

全く稼げませんでした。

 

教材代やサーバーの契約料、
メルマガ配信スタンドの契約までしたのに、

投資額の回収なんて夢のまた夢です。

 

結論から言うと、購入した教材は
お金を全く生みませんでした。

が、ネットビジネスと出会い、
基礎の基礎を身に着けたという点では、
大きな意味がありました(懲りていない?)

 

 

その後、マレーシア移住から1年が経ち、
やがて日本に帰国して復職しました。

再び日本のサラリーマンに戻ったのです。

 

でも、マレーシアで余裕のある毎日を
過ごす中で、働くことや人生の意味を
考えさせられ、ネットビジネスへの思いは
くすぶり続けました。

 

 

また、マレーシアに1年間住んで得た
経験からも、日本と海外を客観的に
比較できるようになっていました。

 

帰国直後、マレーシアののんびりさに
慣れ切っていた私は、

通行人とすれ違うことや、
エスカレーターに乗ることに不慣れな体
なっていました(笑)

 

そして、私の中にある”思い”が
芽生えてきたのです。

「もしかしたら、ネットビジネスを糸口に、
 日本と海外のイイとこ取りで二重生活が
できないだろうか」

 

こんな思いを日々悶々と抱えながら、
再び日本であくせくと
働く毎日が続きました。

わだかまりや疑問を持ちながらも、
日常に流されるままに…。

まるでどんよりとした雲の下、
行き先に迷いながら、
とぼとぼと歩くようでした…。

 

 

しかしそんな中、
再び運命的な出会いを果たします。

 

ブログを使った、
あるネットビジネスとの出会いです。

 

私のやけぼっくいに再び火が付き、
その思いは決して頭を離れませんでした。

 

一度は失敗したネットビジネスですが、
性懲りもなく心機一転、
再び手を出すことを決めたのです。

 

ただし、どの人についていくかは
慎重に慎重を期しました。

 

今度こそ失敗してはならない。
今度こそ本気でやってやる。

 

と堅く心に誓いました。

今思えば、

何か行動を起こさないと
自分の将来を変えられそうにない

 

と思ったし、
自分の抱えるわだかまりをなくすために、

何でもいいから動きたい

 

と思ったのでしょう。

 

 

その思いは今現在も持ち続けており、

自分の理想は自分で叶える

つもりで日々取り組んでいます。

 

結局、

自分の人生は自分で変えるしかない

と私は考えています。

 

そして、
その思いをネットビジネスに託しました

 

 

2016年10月末にブログを立ち上げ、
毎日実践を行ってきました。

しかし初月の収益はたったの

473円

 

いきなり儲かるわけはないと
思ってはいましたが、
いざこの数字を見るとガッカリ…

 

ほぼゼロからのスタートでしたが、
頑張って実践した結果、
少しずつ収益は伸び続けました。

正しい方法で、
適切な作業量を淡々とこなす。

このルールを確実に守っていれば、
自ずと結果は表れてくることが
日々体感できました。

 

そして半年後の2017年5月には
総額で月収10万円を達成しました!

 

 

本当に本当に不思議な感覚です。

給料とは別の収入が口座に振り込まれる感覚は。

 

はじめ口座の残高を見て、

「このお金は触れないお金では?」

なんて思ったものです。

 

 

しかしネットビジネスでの
稼ぎ方の真実を学んでからは、
稼ぐべくして稼いだお金と感じています。

 

その後も安定した収益を確保しながら、
さらなる拡大に向けて
日々ネットビジネスに取り組んでいます。

 

例えば、ほぼ放置状態のあるサイトについて
紹介すると、作業をしなくても、このくらいは
稼げてしまっています。

↓  ↓  ↓

なんだか働くのがバカらしくなって
しまうかもしれませんが…

ネットビジネスというものは、
こういう性質ですから、
仕方ないとしか言いようがありません。

 

 

6.Kosukeはなぜ海外を目指すのか

 

昔ながらの古い体質、前時代的な感覚と
習慣にまみれた会社に、
私はほとほと疲れ果てていました。

中間管理職としてストレスにまみれ、
前向きに仕事をする気力が
まったく起こらなくなりました。

 

その中で、マレーシアで過ごした日々が、
キラキラと輝いて思い出されたのです。

 

「人生は一度きりだ。
我慢して日本の会社にしがみついていたら
時間も気力も家族の和もすべて失う…」

 

そこで私は、
日本と海外のデュアルライフという
途方もない夢を目指すことに
決めたのです。

もちろん海外でなくとも
よいのかもしれません。

しかし、私の中では、
日本では決して味わえない開放感と、
未体験のエキサイティングな経験で
あふれている海外の方が、
魅力的に映っていたのです。

 

 

7.海外でネットビジネスをやる必要性とは

 

日本と海外のデュアルライフという
ライフスタイルは、少し考えれば
普通の働き方では不可能です。

日本で働けば、海外に行けるほどの休みが
そう頻繁に取れるものではありません。

 

しかも、海外で働くとなれば、
英会話力、コミュニケーション力、
未体験の土地で生活する度胸など、
数多くのスキルが必要でしょう。

 

でも、ネットビジネスができると、
次のようなメリットがあります。

◆自分一人で自宅で出来る
(リアルなコミュ力が不要、家事育児との両立可)

◆雇う・雇われるの人間関係がない
(ストレスからの脱却)

◆店舗のように多額の初期投資は不要
(すぐに始められリスクが少ない)

◆いつ休み、いつ働くのも自由
(時間の自由を得られる)

◆TOEIC〇〇点以上、のような英語力は不要
(今までにない海外での働き方)

 

こう見ると、海外だけでなく、
日本で暮らすのにも
十分メリットがあります。

 

海外でネットビジネスを実践することは、
ネットビジネスが持つ最大のメリットを
活かすことになります。

その『最大のメリット』とは、

パソコンが1台あって、
ネットに繋がってさえいれば、
日本のどこでも、海外でも、
変わらず稼ぐことができることです。

 

 

これは本当にすごいことです。

日本でも、パソコン1台で稼げれば、
家賃が高くて通勤ラッシュが苦痛な
都市部に住む必要性も
まったくなくなります。

 

好きな街に暮らし、
『好きなこと』を仕事にすることが出来ます。

 

 

このライフスタイルが
もたらすものは、
実にはかり知れません。

 

☆職場の人間関係、長時間労働、ストレスからの解放

☆居住地選択の自由

☆趣味や自分の時間は無限大

☆家族と過ごす時間が爆増

 

例えば、

平日にブラリと遊びに行くことも、
毎日好きなだけ寝ることも、
家族と思い出を好きなだけ作ることも、

 

何でも出来てしまうのです。

しかも、そうしている間にも、
ネットビジネスの仕組みが
勝手にどんどん稼いでくれています。

 

8.Kosukeが一番譲れないモノ

 

私の譲れないもの。
それは、

自分自身が納得できる人生を過ごすこと

です。

 

自分で自分をごまかしたり、
やりたいのに諦めたり、
そういったわだかまりは、
自分の中には残したくありません。

どんなに時間がかかっても、
自分の理想をかなえたいのです。

 

その理想である、
日本と海外のデュアルライフ
実現するため、ネットビジネスの力を
フル活用しています。

 

例えば、私は以前マレーシアに暮らして
いた頃に
コンドミニアムを購入
し、
現在はそれを人に貸している状態です。

ネットビジネスで稼いだお金の一部を、
ローン費用等の諸費用に回していたりも
します。

 

ネットビジネスで稼ぎながら、
やがてはそこへ定住するのも
アリかもしれません。

 

パソコン1台で稼ぎながら、
常夏の国のプール付きコンドミニアムで
あらゆることに縛られずに自由に暮らす…。

 

夢のような話ですが、もちろん現実です(笑)

 

↓ 私の所有するコンドミニアムにあるプールです(実物)

 

今考えると、何の疑問も抱かずに就職し、
ただ働いて、気が付けばたくさんの時間を
消費してきました。

 

「自分は何のために生き、働くのか」

 

この意味を考えずに生きることほど、
ムダな人生はないと私は思います。

 

もしあなたが今、やりたいこと、
生きたい人生があるなら、

絶対にあきらめないでほしい
思います。

 

あなたの人生のうち

絶対にやりたいことは何ですか?

あなたの想いを語って頂けると、とても嬉しいです…。