Kosukeのプロフィール

はじめまして!

デュアルライフクリエイター(Dual Life Creator:D.L.C)Kosukeと申します。東京で働く30代サラリーマンで、ごくごく普通の会社員です…。

ただ、家に帰ったらパソコンを使って本業以外のお金を生み出しているという点は、他の方とはちょっと異なるかもしれません。

唐突ですが、「デュアルライフ」ってご存知ですか?もともとは、平日は仕事のため都会に暮らし、週末は自然豊かな田舎暮らしを満喫するような二重生活のことです。

しかし今では、この「デュアルライフ」は人それぞれ、様々なスタイルに変化しています。普段は地方に暮らし、月に何日かだけ東京や大阪といった都会へ仕事のために出る人もいます。

私の場合、「日本」「海外」を行ったり来たりするようなスタイル、”ワールドデュアルライフ” を目指しています。

デュアルライフとはどんなものなのか、なぜそんなライフスタイルを目指すようになったのか、そしてパソコンを使ってのお金を稼ぐ方法、人生における”大切なこと”、「デュアルライフクリエイター」の私のことなど、知っていただければ嬉しく思います。

 

このままサラリーマンを続けた果てに…

私は、東京でサラリーマンを続けてもう10年になろうとしていました。会社生活は順調で、山あり谷ありながら、少しづつではあるけれど、キャリアを重ねていっていました。

私の働く業界は比較的安定していて、普通に働いていればクビになることはほぼありません。給料は平均程度ですが、普通に家族を養うことは出来ていました。

でも、考えてしまったのです。先輩や上司の姿を見ながら、

「自分も〇歳頃に課長代理、〇歳頃に課長になって、あの人たちみたいにバタバタしながら休みも会社に出てきて年を取っていくのかな…」と。

言うなれば、先の人生が簡単に想像できてしまったのです。

それはそれで儚くも健気な人生かもしれません。ですが私にとっては非常にガッカリしたものだったのです。

私は自分の人生を”考えてしまった”のです。

 

そのようなきっかけとなったのは、ある時出会った「とある人」でした。

 

ある女性とのドラマのような出会い(妄想ではありません(笑))

私は10代後半、イナカの某大学に進学、一人暮らしを満喫していました。そこで、ある女性との出会いがあったのです。

その女性とは、とある発展途上国からの留学生でした。

私と同じアパートに住んでいて、普通の挨拶から始まった交流は、いつしか恋愛感情に発展し、程なく彼女と私は恋仲になったのです。

ちなみに彼女は、私と出会わなかったら、友人や家族のいない寂しさに耐え切れず、退学して帰国しようと思っていたそうです。

…運命ってわかりませんね…。

その後、大学を卒業してお互い日本に就職してからも関係は続き、後に私たちは結婚することになります。つまり、国際結婚です。

結婚するには、挨拶をするために彼女の両親にも会いに行かねばなりません。

普通だったら、妻となる女性の実家まで、例えば地方都市などに向かうところでしょうが、私の場合、その行き先が海外でした。

そもそも両親と言葉が通じるのか?そういやオレの英語通じるの?ていうかパスポートないじゃん!とか、そこから考えねばなりませんでした。

しかし、そこで体験した数々の出来事が、予想できなかった事態を生んだのです。

 

衝撃の海外初体験は人生観を変えてしまった…

その彼女の国とは、東南アジアにある中進国・マレーシア。

東京から飛行機で6~7時間程度かかる、イスラムの文化が色濃い多民族国家です。

初めてマレーシアを訪れたとき、いきなり激しく腹を壊しました(笑)

と言っても食当たりではなく、お腹を冷やしてしまったのです。

 

常夏の国で1年中暑いからか、部屋もショッピングモールもバスも、クーラーのかけ方が半端なく強いんです。

そしてトイレにはトイレットペーパーがなく、水が出るホースが備わっていました。

そう、まさかの素手でセルフウォシュレットです。でも実はそれをするのはマレー人だけなんですけどね。

 

初めての海外旅行だったせいか、日本と比べて異なる点が多すぎてとにかくビックリすることばかりでした。

バスの運転手は2台の携帯電話を同時に話しながら蛇行運転し、スーパーのレジ打ち店員はレジ台に腰かけてくつろいでヤル気ゼロです。

食事もできるカフェは24時間やっており、深夜でも早朝でも常に誰かしら客がいました。明らかに働いていないような客が多かったようでした。店員もあまりやる気がありません。

でも彼らは、友人とコーヒー片手にとても楽しそうにおしゃべりしていました。店員もすごくリラックスした感じです。なんだかユルい、心地よい空気を感じます。

そこで私の中にある思いが芽生えました。

「日本みたいに真面目にバリバリ働くだけが人生じゃないんだな…」

 

何のために生きている?安定にしがみつき終える人生に何の価値がある?

マレーシアでは、家族をとても大切にする文化があることを見つけました。彼女には弟と2人の妹がいましたが、彼女の両親は、彼らに一緒に食事することを頻繁に求めていました。

マレーシアのテレビを見ていると、CMで両親や祖父母を大切にするシーンをよく見かけます。3世代が一緒に暮らすシーンがCMでもドラマでも、そして彼女の実家でも実際に見られました。

私の日本の家族はというと、典型的な核家族で、父と母、そして私の3人きりです。しかも私は鍵っ子で、小学校の学童クラブから帰っても一人で過ごすことが多いのでした。

一方マレーシアの一般的なオフィスでは夕方5時~6時には終業し、残業は皆ほとんどしません。さっさと帰宅して、家族みんなで夕食を摂るのです。マレーシアは基本外食なので、お母さんも毎日は夕飯を作りません。

「昭和の日本も、こんな感じだったのかな…」

こんな思いも私の中に生まれました。同時に、ちょっぴりうらやましい気持ちも生まれたのです。

 

そんな感じの思いは、彼女の祖国へ何回も渡航する間に、どんどん膨らんでいきました。

「ただ会社のため?にバリバリ働いて、年を重ねるだけが人生なのか。家族のために、自分のために、生きてみてもいいんじゃないか」

 

やがて就職し、会社員として働くようになった私と妻に、再び人生の転機とも言える大きな出来事が迫ってきたのでした。

 

海外移住、ニート、ヒモ…情けない生活ぶり

彼女(すでに結婚して奥さんだけど)の母親の具合が悪く、誰かが面倒を診るのを手伝わなければ、という話が突如舞い込んできました。

そのとき、私は思い立ったのです。

「会社を休職して義母の面倒をみるため移住しよう!」と。

今後会社で異動などすると、長く休めなくなるのでは、もしそうなるともう義母の世話をすることは出来ない、こう考えました。

 

孝行する良い機会かもしれない、または人生の転機かもしれない。そう考えた私は、会社に休職を願い出て、私と妻、幼い娘の3人でマレーシアの首都・クアラルンプールに海外移住したのでした。

しかし英語も片言しか話せず、TOEICの点数も絶望的だった私に、海外で働くというハードルは高く、特にアルバイトもせずに貯金を取り崩して生活していました。

幸い物価は日本より安いので、奥さんが現地で再就職した会社の給料と合わせれば、それなりの暮らしが出来ました。

プールとジム、サウナが共用設備についたコンドミニアムの100㎡以上の部屋が、日本の家族向けアパート程度の家賃で住めたのですから驚きです。日本のテレビでもたまに紹介されていたりしますね。

↑実際に住んでいたクアラルンプール市内のコンドミニアムのプール。遠くにツインタワーが見える

私はマレーシアに暮らしながら英会話の学校にたまに行き、義母の世話をしながら常夏海外生活をしていました。

なんだかヒモっぽい生活で、毎日が結構ヒマでしたね。日本であくせく働いていたのがなんだかウソみたいでしたが…。

 

ネットビジネスとの出会い、人生の目標に

そんなある日、ネットサーフィンをしていると、同じく海外で自由に暮らす人のサイトを見つけました。

その人はPC1台で稼ぎながら様々な国に暮らしており、その自由さが私には非常に魅力的に映りました。その人がやっていたのが、いわゆる「ネットビジネス」でした。

その方の無料メルマガに早速登録し、有料教材を買って実践、ブログを立ち上げて毎日3記事くらい投稿を続けていました。私もPC1台で稼いで海外で暮らしてみたいと、甘い夢を抱きながら…。

しかし作業を初めて3か月、結果を言うと全く稼げず、教材代やサーバーの契約料、メルマガ配信スタンドの契約までした投資額の回収なんて夢のまた夢でした。

結論から言うと、購入した教材はお金を全く生みませんでしたが、ネットビジネスと出会い、基礎の基礎を身に着けたという点では、大きな意味がありました。(懲りていない?)

マレーシア移住から1年が経ち、日本に帰国し復職してからも、ネットビジネスへの思いはくすぶり続けていたのです。

また、マレーシアに1年間住んで得た経験からも、日本と海外を客観的に比較できるようになっていました。

帰国直後、すでに私は通行人とすれ違うことや、エスカレーターに乗ることに不慣れな体になっていました(笑)

しかし、私の中にある”思い”が芽生えていました。

 

「もしかしたら、ネットビジネスを糸口に、日本と海外のイイとこ取りで二重生活ができないだろうか」

こんな思いを日々悶々と抱えながら、再びあくせくと働く毎日が続きました。わだかまりや疑問を持ちながらも、日常に流されるままに…。

まるでどんよりとした雲の下、行き先に迷いながら、とぼとぼと歩くようでした。

しかしそんな中、運命的な出会いを果たします。ブログを使った、あるネットビジネスとの出会いです。

私のやけぼっくいに再び火が付き、その思いは決して頭を離れませんでした。一度は失敗したネットビジネスですが、性懲りもなく心機一転、再び手を出すことに決めたのです。

ただし、どの人についていくかは慎重に慎重を期しました。今度こそ失敗してはならない、今度こそ本気でやってやる、と堅く心に誓いました。

 

自分の人生は自分で変える…!驚きの収益発生へ

今思えば、何か行動を起こさないと自分の将来を変えられそうにないと思ったし、自分の抱えるわだかまりをなくすために、何でもいいから動きたい、と思ったのでしょう。

その思いは今現在も持ち続けており、自分の理想は自分で叶えるつもりで日々取り組んでいます。結局、自分の人生は自分で変えるしかないと私は考えています。

そして、その思いをネットビジネスに託したのです。

 

2016年10月末にブログを立ち上げ、毎日実践を行ってきました。しかし初月の収益はたったの473円…。いきなり儲かるわけはないと思ってはいましたが、いざこの数字を見るとガッカリ…

ほぼゼロからのスタートでしたが、頑張って実践した結果、少しずつ収益は伸び続け、2017年5月には総額で月収10万円を達成しました!

 

 

本当に本当に不思議な感覚です。給料とは別の収入が口座に振り込まれる感覚は。

はじめ口座の残高を見て、「このお金は触れないお金では?」なんて思ったものです。

しかしネットビジネスでの稼ぎ方の真実を学んでからは、稼ぐべくして稼いだ、現実のお金と感じています。

その後も安定した収益を確保しながら、さらなる拡大に向けて日々ネットビジネスに取り組んでいます。

 

夢を現実にする…この時代に生きてよかった

日本と海外のデュアルライフという途方もない夢に、私はデュアルライフクリエイターとして、いま一歩ずつ近づいています。

私が実践しているネットビジネスの場合、ネットにさえつながってさえいれば、日本のイナカでも海外にいても、お金を稼ぐことができるのです。

これは本当にすごいことです。やがてサラリーマンを辞めれば、家賃が高く、通勤ラッシュが苦痛な都市部に住む必要性がまったくなくなります。

好きな街に暮らし、好きなことを仕事にするのです。

このライフスタイルがもたらすものは、ストレスからの解放、居住地選択の自由、家族と過ごす時間が爆増…。思わず口元が緩んでしまいますね。平日に遊びに行くこともできるし、その間にもネットビジネスの仕組みがどんどん稼いでくれています。

実はマレーシアに移住している間にコンドミニアムを購入し、現在は人に貸している状態です。ですので、日本を出ても私の暮らす場所は既にあります。ネットビジネスで稼ぎながら、やがてはそこへ暮らすことも考えています。

パソコン1台で稼ぎながら、常夏の国のプール付きコンドミニアムであらゆることに縛られずに自由に暮らす…。夢のような話ですが、もちろん現実です(笑)

 

今考えると、何の疑問も抱かずに就職し、ただ働いて、気が付けばたくさんの時間を消費してきました。

「自分は何のために生き、働くのか」

この意味を考えずに生きることほど、ムダな人生はないと思います。

あなたにも、自分の「デュアルライフ」を見つけてほしいと思っています。そして、いつか一緒に楽しくわいわいと話しましょう!